ゲイブリエルとグレタを乗せた馬車がオコンネル橋を渡る



 昨日16日、ブルームズデイにちなんでジョン・ヒューストンの『ザ・デッド』を観た。以前BSで放映されたものの録画で、二度目か三度目かの再見になる。見直して新たに気づいたことなどについて二、三書いてみよう。
 ストーリーは簡素だ。二人の老嬢姉妹ケイトとジューリアそれに姪のメアリーの三人が例年催す舞踏会に招かれた縁戚の者や知人たちのダンス、ディナー、会話。そして宴の果てた後の一組の夫婦の、妻の回想をめぐるささやかな諍い。ヒューストンはジョイスの小説を、幾つかの科白をふくめてほぼ忠実に映画化しているといっていい。
 原作にヒューストン(シナリオは息子のトニーが担当し、オスカーにノミネートされた)が付け加えた場面は幾つかある。その一つ、酔っぱらいのフレディがいつものように遅れてやってきて、先に来ていた母親に問いただされる。「委員会の会合があって」とかなんとかしどろもどろに言い訳するフレディに、母は「会合? どこでかね。マリガンのパブでかい?」と皮肉を言う。観客をにやっとさせる『ユリシーズ』へのアリュージョンである。
 大きな改変は、メアリーのピアノ演奏が終わった後に、グレイスが詩を長々と朗読する場面が挿入されることで、これは原作にないエピソードである。朗読するのは、Lady Augusta GregoryのDonal Og。「レディ・グレゴリーがアイルランド語から翻訳したBroken Vowという詩である」とグレイスは朗読の後に注釈をつける。元はアイルランドに伝わるバラードで、グレゴリー女史はアイルランドに伝わる民話、伝説、バラードを英語に翻訳してアイルランド文芸復興に寄与した人。W.B.イエーツととともにアビー・シアターを設立し、多くの芝居を執筆した*1
 グレイスの朗誦が終わると、居並ぶ老若男女は、初めて聴いたこの詩への称賛を口々に唱える。「バラードにするといいね」という人までいる始末。ヒューストンはなぜこの場面を付け加えたのだろうか。おそらく当時のダブリンの独立運動アイルランド人のアイデンティティ、といった背景への言及だろうが、当時の歴史的状況に疎いので確かではない(民族主義者のアイヴァーズ嬢にゲイブリエルがからまれる場面が小説にも映画にも登場する*2)。
 そしてもう一つ。ジューリアがベッリーニの歌曲「婚礼のために装いて」を朗唱する場面で、カメラは階段をゆるやかに上り、二階の室内に入ってテーブルの上の蝋燭立て、小さな民族人形、写真立ての肖像写真などの事物を次々に映し出す。そして一枚のタペストリーに縫い取られた文字――Alexander Popeの詩句に焦点を合わす。二人の老嬢のいずれかの持物だろう。あるいはそれは親の代から伝わってきたものであるのかもしれない(ポープの引用の意図はさまざまに解釈できるだろう)。


 Teach me to feel another’s woe,
 to hide the fault i see,
 that mercy i to others show,
 that mercy show to me.


 ゲイブリエルとグレタを乗せた馬車がオコンネル橋を渡る。深い闇の中にいくつものガス灯の明かりが靄に滲み、川面に照り映えている。静謐で譬えようもなく美しい場面。そしてグレシャムホテルに着いた二人は部屋に落ち着くが、グレタはなにかに憑かれたように物思いに耽っている。


 ――グレッタ、ねえ、なにを考えてるんだい?
  返事もなく、腕に身をまかせるでもない。もう一度、やんわり言った。
 ――言ってごらんよ、グレッタ。どうかしたんだろ。違うかい?
  彼女はすぐには答えなかった。それからわっと泣き出して言った。
 ――ああ、あの歌のこと考えてるの、オーグリムの乙女のこと。
  彼女は身をふりほどいてベッドへ駆け寄り、ベッドの柵上へ腕を十字に投げ出して顔をうずめた。
         (柳瀬尚紀訳「死せるものたち」、新潮文庫『ダブリナーズ』所収)


 「オーグリムの乙女」は舞踏会の最後にダーシーの歌った歌である。グレタは階段の上に立ち尽し、部屋の中から聞こえる歌声に耳を傾けていた。それは、若き日のある青年との永遠の訣れを思い出させる歌だった。
 ジョイスはグレタが「わっと泣き出し」たと書いているが、ヒューストンはそうは描かない。グレタは哀しみに耐えている。肺病で死んだ青年マイケルとの思い出を語るうちに感情が激してくる。そしてベッドにからだを投げ出して嗚咽するのである。感情の機微についてはジョイスよりもヒューストンに一日の長がある。The Deadを書いたとき、ジョイスは25歳だった。80歳を過ぎたヒューストンが若きジョイスに「ほら、このほうがいいだろ?」とウィンクしているようである。
 ちなみに、しんしんと降る雪の場面を観ていて、わたしはある小説の雪の情景を幾度も思い出していた。その小説、アン・ビーティのIn the White Nightにも、ある雪の降る夜、パーティがお開きになったあとの一組の夫婦の小さな諍いが描かれていた。ずいぶん昔読んだ小説なので確かではないけれど。ビーティもあの小説を書くときにThe Deadが頭にあったのだろうか。


追記(6.18)
In the White Night を探し出して再読した。「小さな諍い」ではなかった。愛する者を失った哀しみがいまなお生々しく現前するというところに共通するものがあった。その哀しみを浄化するかのように雪が降りしきるという情景においても。


ダブリナーズ (新潮文庫)

ダブリナーズ (新潮文庫)

*1:https://www.theguardian.com/books/booksblog/2010/apr/19/poem-of-the-week-lady-augusta-gregory

*2:結城英雄は訳書『ダブリンの市民』(岩波文庫)の解題で、ヒューストンは「ポスト・コロニアルの視点で映画化したが、ミス・アイヴァーズを中心に据え、見事である」と記している。

緑色をした気の触れた夏のできごと――村上春樹訳『結婚式のメンバー』



 以前書いた「MONKEY」の村上春樹柴田元幸対談「帰れ、あの翻訳」*1で予告されていた「村上春樹柴田元幸 新訳・復刊セレクション」が「村上柴田翻訳堂」として刊行され始めた。第1回の配本がカーソン・マッカラーズ『結婚式のメンバー』(村上訳)とウィリアム・サローヤン『僕の名はアラム』(柴田訳)。今月2回目の配本は、フィリップ・ロス『素晴らしいアメリカ野球』とトマス・ハーディ『呪われた腕 ハーディ傑作選』の2冊。前者は集英社文庫、後者は新潮文庫(『ハーディ短編集』)を復刊したもの。
 『僕の名はアラム』は、短篇のそれぞれにドン・フリーマンの挿絵がついていて、原著を踏襲したものだろう、素朴で味わいのある雰囲気を醸している。ここでは『結婚式のメンバー』についてすこし書いてみよう。
 読み始めてちょっとした違和感をおぼえたのだけど、そのわけはすぐに思い当った。ああそうか、チャンドラーだな…。清水俊二訳でチャンドラーに親しんだものにとって、村上春樹訳のチャンドラーは著しい違和感をもたらしただろう。だれもが、「ええっ、これがマーロウ?」と思ったはずだ。これも以前ここに書いたけれども*2、村上訳は、原文に忠実であること、表現の細部を疎かにしないこと、に特長がある。そうすることによってかつてのマーロウのイメージは一新されたが、それがより本来の姿に近いマーロウなのである。
 『結婚式のメンバー』の翻訳も同じく、村上春樹は原文に忠実に、ディテールを正確に訳すことに専心している。The Member of the Wedding には先行する二種の邦訳がある。渥美昭夫訳『結婚式のメンバー』(中央公論社、1972)と加島祥造訳『夏の黄昏』(福武文庫、1990)である*3。わたしの「ちょっとした違和感」の所以は加島祥造訳にある。冒頭を写してみよう*4


 「フランキーが十二歳の夏は、不思議な奇妙な季節だった。今年も彼女は一人きりだった。どこのクラブのメンバーでもなかった。毎日ひとりで、戸口のあたりでぶらぶらしていた。フランキーは不安だった。六月の緑の色はあざやかだったのに、真夏になるとにわかに黒ずんでくる。強い日射しの下で、何もかもが濃く縮んでしまったのだ。それでも初めのうちは町じゅうを歩きまわった。どこかに何か用があるような気がした。
 朝と夜、町は灰色でひんやりしている。しかし日中は太陽の光がおそろしく強く、道路は溶けてガラスのように光った。しまいに両足が熱くてたまらなくなり、気分がわるくなった。いっそ家にいた方がましだった。ところで家にいるのは、ベレニス・セイディ・ブラウンとジョン・ヘンリ・ウェストだけだ。(以下略)」 (加島祥造訳『夏の黄昏』)


 短いセンテンスをたたみかけて、きびきびとしたリズムのある訳文だ。手練れの翻訳家の手になるものとわかる。村上春樹訳だとこうなる。


 「緑色をした気の触れた夏のできごとで、フランキーはそのとき十二歳だった。その夏、彼女はもう長いあいだ、どこのメンバーでもなかった。どんなクラブにも属していなかったし、彼女をメンバーと認めるものはこの世界にひとつとしてなかった。フランキーは身の置き場がみつからないまま、怯えを抱きつつあちらの戸口からこちらの戸口へとさまよっていた。六月には木々は明るい緑に輝いていたが、やがて葉は暗みを帯び、街は激しい陽光の下で黒ずんでしぼんでいった。最初のうちフランキーは戸外を歩き回り、あれやこれや頭に思いつくことをやっていた。街の歩道は早朝と夜には灰色だったが、昼間の太陽がそこに釉薬(うわぐすり)をかけ、焼けついたセメントはまるでガラスみたいに眩しく照り輝いた。歩道はついにはフランキーの足が耐えられないほど熱くなり、おまけに彼女はトラブルを抱え込んでいた。なにしろたくさんの秘密のトラブルに巻き込まれていたので、これは家でおとなしくしていた方がいいかもしれないと考えるようになった。そしてその家にいたのは、ベレニス・セイディー・ブラウンとジョン・ヘンリー・ウェストだけだった。(以下略)」 (村上春樹訳『結婚式のメンバー』)


 一見しておわかりのように、村上訳は加島訳にくらべて三割がた長い(文庫本の頁数もそれに応じて三割がた多くなっている)。一つのセンテンスも長く、したがって、ややもったりした感じを受ける。要するに文章に「キレ」がない。これは、チャンドラーの村上訳と清水訳とを比べた時の感じとまったく同じである。だが、訳文のセンテンスが長いということは、原文の一語一語を省略せずに訳出している、ということでもある。原文を見てみよう。


It happened that green and crazy summer when Frankie was twelve years old. This was the summer when for a long time she had not been a member. She belonged to no club and was a member of nothing in the world. Frankie had become an unjoined person and hung around in doorways, and she was afraid. In June the trees were bright dizzy green, but later the leaves darkened, and the town turned black and shrunken under the glare of the sun. At first Frankie walked around doing one thing and another. The sidewalks of the town were grey in the morning and at night, but the noon sun put a glaze on them, so that the cement burned and glittered like glass. The sidewalks finally became too hot for Frankie’s feet, and also she got herself in trouble. She was in so much secret trouble that she thought it was better to stay at home – and at home there was only Berenice Sadie Brown and John Henry West.


 それはグリーンでクレイジーな夏に起こった、という書き出しで始まる。すこしあとで、6月には木々が目もくらむような鮮やかな緑に輝き、とあるのでgreenは葉っぱの色だとわかる。だから加島訳は冒頭のgreenを省略し、その代りに「不思議な奇妙な季節」と、訳者の(この小説から読み取った)「主観」で染め上げる。あるいは、greenのあとにsummerが続けば、それは木々の緑を意味することが明らかなので省略したのかもしれない。村上訳は律儀に文字通り「緑色をした気の触れた夏」と訳している。
 それに続く加島訳は「今年も彼女は一人きりだった。どこのクラブのメンバーでもなかった」と、原文の順序を入れ替えている。村上訳は原文通り。フランキーの「不安」(加島訳)「怯え」(村上訳)は、彼女がunjoined personであることに起因している。自分の居場所がなく、誰からも承認されていないという寄る辺なさが、アドレッセンスにある少女を捕えているafraidの正体なのである。ここは原文通りの順序がいいだろう(「ここは」というのはヘンだけど)。次の加島訳「どこかに何か用があるような気がした」はまったくの「意訳」。あれをやったりこれをやったりするけれど、心ここにあらず。本当にやるべきことはほかにあるはずだけれど、それが何かはわからない。そんな感じですね。だれにも覚えがあるにちがいない。
 「太陽がそこに釉薬をかけ、焼けついたセメントはまるでガラスみたいに眩しく照り輝いた」は、いい比喩。村上春樹調といってもいいかもしれない(逆ですけど。村上春樹は、浴びるほど読んだ外国の小説からこうした比喩を学んだのである)。加島訳は、比喩は無視して「太陽の光がおそろしく強く」と至極あっさりした調子。その次も「気分がわるくなった」とあっさり処理しているけれども、これでは日射病か熱中症にでもなったみたいだ。気分がわるいのは焼けついた歩道のせいばかりではない。それにもましてトラブルを、「たくさんの秘密のトラブル」を抱えていたからである。ここは(ていうか、ここも)原文をはしょらないほうがいい。


 と、こうやって小説の冒頭を原文とふたつの訳文を対照しながら見てくると、加島訳のきびきびとしたリズム、キレのよさは、原文を多少なりとも損なうことで得られたものだということがわかる。清水俊二訳チャンドラーと同じである。ただし加島訳は、村上春樹が清水訳をさしていった「細かいことにそれほど拘泥しない、大人(たいじん)の風格のある翻訳」というよりも、「確信犯」という感じがする。原文に忠実であることより、読者にとって読みやすい翻訳が「いい翻訳」であるという信念のようなものを感じさせる。どちらがいいかは「好みの問題」なのかもしれないけれど、わたしは原文に忠実に(はしょることなく)訳したものが好きです。


 さて、マッカラーズの『心は孤独な狩人』の映画版(邦題『愛すれど心さびしく』)をBSで見ることができた*5。原作の深みには及ばないが、主役の一人である少女ミック役のソンドラ・ロックが素敵だ。初出演のこの映画でオスカーにノミネートされたらしい。映画が撮影された時は20歳ぐらいのはずだが、ちょっと見には男の子のような「亜麻色の髪をしたひょろ長い十二歳ばかりの少女」をよく演じている。ミックはフランキーであり、少女時代のカーソンでもある。

 『結婚式のメンバー』の文庫カバーには、映画でフランキーを演じたジュリー・ハリスとベレニス役のエセル・ウォーターズの間にはさまれたマッカラーズの写真が使われている。ペンギンブックス版のカバーはこんなのです。『心は孤独な狩人』のソンドラ・ロックにちょっと似ている。いずれもcoming-of-age storyであり、バルテュスの少女のイメージもどこか揺曳しているようだ。


上は『心は孤独な狩人』のソンドラ・ロック
下はバルテュスの Thérèse dreaming, 1938

結婚式のメンバー (新潮文庫)

結婚式のメンバー (新潮文庫)

*1:id:qfwfq:20151115 ついこないだのことだと思ったら、もう半年前になるんだね。歳月は蹄の音を残して走り去る…

*2:id:qfwfq:20070414

*3:わたしの知るかぎり、この二種。渥美訳以前にも、あるいは邦訳があったのかもしれない。加島祥造は福武文庫のあとがきで、「これは以前に『結婚式の仲間』と訳された」と書いている。渥美訳『結婚式のメンバー』は、書棚を探したけれど、どこかに埋もれたのか、引越しの際に処分したのか、見つからない。

*4:「MONKEY」対談の注で、柴田さんは「マッカラーズの書き出しはいつも印象的である」と書いている。

*5:フルムービーをYouTubeで見られるんですね。知らなかった。『結婚式のメンバー』も。どちらも字幕はついてませんけど。

時計の針はゆっくり流れる砂のよう…



 O様

 昨日は終日氷雨が降りしきっていましたが、今日は一転して朝から快晴。窓の向かいの樹林が暖かな陽射しをあびてきらきらと輝いています。風に吹かれて小梢がゆらゆらとダンスを踊り、葉鳴りがひそひそと何かをささやきかわしているかのようです。ナボコフが「暗号と象徴」で書いたように、それは葉っぱたちの発信する秘密の暗号のようにも思えます。ナボコフも日がなうっとりと樹木のダンスを眺めていてあのお話を思いついたのかもしれません。 
 氷雨のなか、村上春樹のいう「雪かき仕事」の打合せで久しぶりに神保町へ出かけてきました。うちの近所にも書店はあるにはあるのですが、コミック・雑誌・実用書がほとんどで用をなしません。神保町で東京堂書店をのぞいて久方ぶりに渇を癒しました。三階の文学書のコーナーへ行くと、ペーター・フーヘルの分厚い評伝が平台に積まれていました。おお、こんな本が出ている! 数年前にフーヘルの詩集がやはり300頁ほどの上製本で出たときも驚きましたが、それも東京堂の同じコーナーの同じ平台で見つけたのでした。
 『ペーター・フーヘル詩集』は小寺昭次郎の訳*1で『詩集』『街道 街道』の二冊の詩集が収録されています。小寺昭次郎はエンツェンスベルガーの『現代の詩と政治』*2の訳者で、以前、そのなかの「自由の石」というエッセイに引用されているネリー・ザックスの「新しい家を建てるあなたたちに」という詩をメールに引用したことがありましたね。まるで3・11の後に書かれたような詩。もう一度、ここに掲げてみます。


 あなたが家を新しく建てるなら――
 あなたのキッチン、ベッド、机、椅子を――
 消えていったあのひとたちを悼む涙を
 石に
 柱に、懸けてはならない、
 あのひとたちはもうあなたとともに住むことはないのだから――
 そうでないとあなたの眠りのなかに涙が落ちる、
 あなたがぜひとらねばならぬ短い眠りのなかに。


 ベッドにシーツを延べるとき、ため息をついてはならない、
 そうでないとあなたの夢は
 死者たちの汗とまじってしまう。


 ああ、家も家具もひどく敏感なのだ、
 風琴のように、
 あなたの苦しみを育てる畑のように。
 だからあなたに、塵埃にひとしいものを嗅ぎつける。


 建てなさい、時計の針はゆっくり流れる砂のよう。
 だがわずかな時の間も、泣きつづけてはならない、
 光をさえぎる
 塵埃とともに。


 こうして書き写していても、哀しみと諦念を押し隠して自らを励ます福島の人たちの顔が浮んでくるようです。アドルノは、アウシュビッツ以後、詩を書くことは不可能であるといったけれども*3、この命題を否定できる数少ない一人がザックスである、とエンツェンスベルガーは書いています(「自由の石」)。
 ザックスのこの詩は『死の住みかで』という詩集の一篇です。死が「その家の主」となってしまった強制収容所を主題としたこの詩集には、ヨブ記の一節がエピグラフに掲げられています。――わがこの皮、この身の朽ち果てんのち、我肉を離れて神を見ん、と。
 そういえば、ネリー・ザックスの詩集*4もフーヘルの詩集と同様、上製単行本で出ていて、いずれもそれほど多くの読者を期待できない本がこうして商業出版物として刊行されるということに(そしてそれをきちんと並べておく書店があるということに)一筋の光明のようなものをおぼえたことでした。


 ペーター・フーヘルの評伝は、土屋洋二『ペーター・フーヘル 現代詩への軌跡』*5という400頁ほどの本。まだあちこち拾い読みしただけですが、フーヘルの詩の翻訳と原詩とを随所に引用しながら、かれの生涯と生きた時代を描こうとするもので、あまり詳しくない戦後ドイツの文学事情を理解するうえで大いに役立ちそうです。
 フーヘルは1903年、ベルリン近郊に生れ、1930年、週刊文芸紙「文学世界」で詩人としてのデビューを果たします。フーヘルの投稿した詩を読んだ編集長兼オーナーのヴィリー・ハースが「天から巨匠が降ってきたかと思った」といったほどですから、鮮烈なデビューといっていいでしょう。
 フーヘルは出征し、45年4月、壊走するドイツの部隊を逃れてソ連軍の捕虜となり、収容所で文化活動に従事します。ドイツの敗戦で、英米仏ソによって分割占領・共同統治されたベルリンへ戻りますが、フーヘルはソ連占領区のベルリン・ラジオ放送局ではたらくことになります。占領地区におけるソ連文化政策(とくに西側に対する文化宣伝)にとってフーヘルは絶好の人材であったわけです。
 ここで思いだすのは、以前、リヒターの『廃墟のドイツ1947』にふれて書いた「47年グループ」のことです*6。リヒターはアメリカ軍の捕虜となり、収容所で発行されていたドイツ人捕虜向けの新聞「デア・ルーフ」に寄稿したりしますが、ドイツへ帰国後、アメリカ占領下のミュンヘンで同名の雑誌「デア・ルーフ」をアンデルシュとともに発行し、やがてそれが47年グループの創設につながってゆく。つまり、フーヘルはソ連軍の捕虜となり、リヒターやアンデルシュはアメリカ軍の捕虜となったことが、その後のかれらの人生と文学に決定的な影響をおよぼすわけですね。
 フーヘルは1948年、『詩集』という名の第一詩集を上梓します(32年に出版を準備していた『少年の池』という詩集は刊行されず、そこに収録されるはずだった73篇のうち、18篇が『詩集』に採録されました)。49年に文芸誌「意味と形式」が創刊され、フーヘルは編集長を務めます。ブレヒトを「雑誌の顔」として正面に押し出し、エルンスト・ブロッホルカーチ、クラウスらを常連執筆陣に迎えて「ドイツとヨーロッパの文学と芸術の伝統をマルクス主義の立場から解釈し直す仕事によって雑誌に骨太な骨格を形成した」(土屋洋二)のです。
 西ドイツの作家、とりわけ若い世代の作家たちを起用することはフーヘルの望むところでしたが、思うようにことは運びません。ここには(ここにも)「文学と政治」の問題が横たわっていました。すなわち党指導部=文化官僚は文学(芸術)を政治に従属すべきものと考えていたのです。「社会主義リアリズム」というやつですね。
 47年グループとフーヘルとの接触は一度、54年の会合にリヒターからの招待状が届いたときだけです。その会合で参加者からフーヘルに東ドイツの体制について質問が出され、フーヘルは「硬直した東側の画一的見解に固執した」と西側メディアは報じたそうです。「国家から財政支援をうける芸術アカデミーの機関誌」(同前)の編集長が、他国で「秘密警察の暗躍する東ドイツの体制」を批判できるわけがありません。フーヘルの盟友エルンスト・ブロッホ(20歳ほど年長ですが)は、「党指導部によって反革命分子の烙印を捺され」、ライプツィヒ大学の教授を解任されて61年、西ドイツへ移住します。フーヘルもまたその翌年に「意味と形式」の編集長を解任されて、秘密警察の監視下に軟禁状態を余儀なくされました。フーヘルも71年に東ドイツを出国し、10年後に西ドイツのシュタウフェンで亡くなります。


 フーヘルの評伝を見つけたということをお伝えするつもりが、思いがけなく長くなってしまいました。最後に、フーヘルがブロッホの70歳の誕生日に献げた詩を一篇、掲げておきます。これは「意味と形式」に掲載されたものですが、ブロッホの主著『希望の原理』もまた「意味と形式」に断続的に連載されたものでした。
 土屋洋二『ペーター・フーヘル 現代詩への軌跡』には、訳詩と原詩、そして詩の詳細な解読があり、それはこの献詩を理解するのに有益ではありますが、ここでは小寺昭次郎の訳で引用します。『ペーター・フーヘル詩集』は小寺の遺稿(の一部)で、かれにいますこしの時間が残されていたらフーヘルの全詩集を自らの手でまとめることができたかもしれません。1950年代から小寺昭次郎と文化運動をともにしてきた古志峻は、巻末の解説でこう書いています。「小寺昭次郎は、高原宏平らとともに、「ドイツ・グループ」で、フーヘルをはじめて読んでいらい、フーヘルへの関心は終生かわらなかった。そしてそれは、戦後、DDRドイツ民主共和国)において、内外の風圧に耐えぬき、「ひととひととの間に距離をなくすものではなく生かす友情」(ブレヒト)のために闘ったフーヘルの精神の根源への共鳴でもあったといえよう」と。


     献詩――エルンスト・ブロッホのために


 秋と、霧の中で次第に明るさを増す太陽、
 そして夜空には火の形象(すがた)。
 それは崩れ、流れる。きみはそれを保持せねばならぬ。
 切り通しの道ではいっそう素早く野獣が入れ替わる。
 遙かな年からの木霊のように
 遠くの森を越えて一発の銃声が轟く。
 再び目に見えぬ者らがさまよい、
 川は木の葉や雲を追い立てる。


 猟人(かりうど)はいまや獲物を引いて帰ってゆく、
 松の枝のようにこわばった角を。
 沈思する者は別の形跡を探る。
 木から金色の煙が立ち昇る
 その切り通しの道をかれは静かに通り過ぎる。
 時は刻々と過ぎ、秋風によって研ぎすまされた
 思想は鳥たちのように旅立ち、
 そして多くの言葉がパンとなり塩となる。
 宇宙の大きな気流の中で、
 冬の星座がゆっくりと上空へ昇るとき、
 かれは予感する、夜がなお黙していることを。
                (小寺昭次郎訳)


ペーター・フーヘル: 現代詩への軌跡

ペーター・フーヘル: 現代詩への軌跡

ペーター・フーヘル詩集

ペーター・フーヘル詩集

*1:『ペーター・フーヘル詩集』小寺昭次郎訳、績文堂、2011年

*2:エンツェンスベルガー『現代の詩と政治』小寺昭次郎訳、晶文社、1968年

*3:アウシュビッツ以後、詩を書くことは野蛮である」とも。

*4:ネリー・ザックス詩集』綱島寿秀編・訳、未知谷、2008年

*5:土屋洋二『ペーター・フーヘル 現代詩への軌跡』、春風社、2016年

*6:id:qfwfq:20151012

あ、猫です――『翻訳問答2』を読む



 片岡義男鴻巣友季子『翻訳問答』については以前ここで書いたけれども*1、その続篇『翻訳問答2』が出た。今回は趣向をあらためて、鴻巣さんと5人の小説家の対談という形式になっている。奥泉光円城塔角田光代水村美苗星野智幸がそれぞれ、吾輩は猫である竹取物語、雪女、嵐が丘アラビアンナイトの英訳、英語原文を和訳して、それについて語り合う(星野智幸は『アラビアンナイト』英訳のスペイン語訳からの和訳)。
 『猫』の冒頭の奥泉さんの訳文が「あ、猫です」。わお!これには意表をつかれた。「I am a cat.を見て、ふつう「吾輩」とは訳さないですよ」と奥泉さん。仰るとおり。前回、『翻訳問答』について書いた際に、柴田元幸さんの『猫』訳と、それに附されたこんなコメントを紹介した。「原文を知らずに訳していても、この猫の個性が見えてくるうちに、「吾輩は猫である」という訳文にいずれたどり着いたかもしれない、とも思う」。それは小説全文を読んでこの小説のvoiceを聞き取ればの話で、たかだか冒頭1頁ほどの英訳から「吾輩」は出てきようがない。
 わたしが意表をつかれたのは、吾輩はどこへ行っちゃったの、ということ以上に「あ」の一語にある。幕が上がり暗転した舞台にスポットライトが当たると男がひとりそこに立っていて、客席に向かって、いま初めてお客さんに気づいたかのようにいう。
 「あ、猫です」
 そんな感じ。その軽さの由来を奥泉さんはこう述べている。「I」がとても小さく見える、と。「「吾輩」という表現は当時の政治的な文書によく見られるもの」で「政治主体を表す一人称「吾輩」が猫であることの落差で、このテクストはでき上がっている」と。仰せのとおりである。しかるに、英訳は以下のごとし。

 I am a cat; but as yet I have no name. Where I was born is entirely unknown to me. (translated by Kan-ichi Ando)

 「吾輩は猫である。名前はまだ無い。/どこで生れたか頓と見当がつかぬ」は、近代小説の書出しとしては最も有名なものの一つである。だれもが脳のヒダヒダにこびりついているといってもいい。奥泉さんにこの「I」がとても小さく見えたのは、きっと漱石の原文と(脳内で)比べたからにちがいない。つまり、『猫』が大仰な一人称とそれをあやつる猫との落差ででき上がっているのと同じように、ここには漱石の戯文と平明な英文との落差がある。だから「吾輩」に比べて「I」がとても小さく見えたのだろう。この英文から「吾輩」は導き出されない。だが、原文の意図を斟酌した英訳も可能ではあるまいか。「かえるくん、東京を救う」を英訳したジェイ・ルービンさんなら、あるいはマイケル・エメリックさんならもう少しちがった英訳になっただろう。Kan-ichi Andoさんには失礼な言い方だけれど*2。ちなみに、前回『翻訳問答』で紹介した『猫』の講談社英語文庫版の英訳( translated by Aiko Ito and Graeme Wilson)では冒頭の一文はI AM A CAT.と大文字になっている。鴻巣さんは村上訳『キャッチャー』風文体の「キャット・イン・ザ・ライ」と牝猫風文体の「わたし、猫なんです」の二種。


 さて、まだ『猫』の冒頭、鴻巣・奥泉対談では最初の3頁ぐらいにしかすぎないが、この調子で紹介していると日が暮れる*3。急いで、わたしがこの本でもっとも感動したみごとな訳文を挙げておこう。角田光代さんの「雪女」の訳。まずはその箇所の英文を(もちろんラフカディオ・ハーンの原文である)。

 The white woman bent down over him, lower and lower, until her face almost touched him; and he saw that she was very beautiful, ――though her eyes made him afraid.

 鴻巣さんはシナリオ風とノーマルの二種、以下はノーマル・バージョン。
 「白づくめの女はだんだんと屈みこんできて、とうとう顔と顔が触れそうになった。そうして見ると、女はたいそう美しい――とはいえ、なにやら眼(まなこ)が恐ろしい」
 次に、角田光代さんの訳。
 「白装束の女はゆっくりと、美濃吉を押しつぶすように、顔が触れるくらいまで屈み、そして美濃吉は、その瞳に震えながらも、女がとてもうつくしいことに気づいた」

 さて、この箇所の角田訳を「綺麗ですね」という鴻巣さんにたいし、角田さんは「自分で書いておいてなんですが、感じ悪い文章です」と応えている。


 角田 ここは句読点でブツブツ文章を切りたくなくて、ひと続きの文章にしました。でも改めて読んでみると、書き手が「どうじゃ!」と自慢している気がして嫌な感じがしますね。こうして読者として読むと、これを書いた人に「いい仕事したと思い上がってるんじゃないの。文章を入れ替えてうまくやったと思ってるでしょ!」と言いたくなります(笑)。
 鴻巣 ドヤ顔が思い浮かぶと(笑)。
 角田 ただ、「女は美しいと気づいた。でも、その目が怖かった」とはしたくありませんでした。


 原文は、女の美しさを言い、そのあと目におののいたと続けている。「角田さんは美しさを後にしてそっちに焦点をもっていってますね」という鴻巣さんの指摘に、「訳しているときは深く考えませんでしたが、改めて考えてみると私はやっぱり顔が綺麗なことを書きたかったんだと思います。私にとっては、瞳が恐ろしかったことを強調した訳文があることじたいが新鮮でした」と角田さんは応えている。翻訳者は原則的に原文の語順を変えない場合が多いが、ここは小説家の直感がみごとな訳文を生んだというべきか。角田さんがこれを自慢気だというのは、ある種の小説的ケレンによる美文だからだろう。だが小説にはときに外連も必要である。度を越すと嫌味で下品になるが、ここぞというときにもちいると絶大な効果をあげる。
 文体におけるそうした外連のひとつに文末の体言止めがある。先の対談で、奥泉さんは「名詞で文章を終えるのは、日本語としてはリスキーなんです。なんというのかなあ、安っぽい印象になる危険性をはらんでいる。ただ、僕はわりと体言止めは好きなんです」と仰っている。大西巨人も「現代口語体における名詞(体言)止め」*4という文章で、「「現代口語体」における名詞止めの採用ないし多用がしばしば文の体(すがた)をいやしくする」(「雅文〔文語体〕」においてはなかなかそうではない)と書いている。そして鏡花や一葉の例を列挙するのだが、ここでは一例のみ挙げておこう。


 「トタンに衝(つ)と寄る、背後(うしろ)へ飛んで、下富坂の暗(やみ)の底へ、淵に隠れるように下りた。行方(ゆきがた)知れず、上野の鐘。」 (泉鏡花「親子そば三人客」)


 「その名詞止めによる締め括りは、水際立ってみごとである」と大西巨人は評している。角田さんの如上の訳文も、水際立ってみごとである。


翻訳問答2 創作のヒミツ

翻訳問答2 創作のヒミツ

*1:id:qfwfq:20140720, id:qfwfq:20140727

*2:奥泉さんは「英訳文を読んで、よく訳されているなと感心しました」と仰っているけれど。

*3:「日が暮れてから道は始まる」と仰ったのは足立巻一である。

*4:大西巨人編『日本掌編小説秀作選 下』花・暦篇、光文社文庫、1987。但し、この元版であるカッパ・ノベルス版にはこの文章は収録されていない。

炎上する花よ、鳥獣剝製所よ――矢部登『田端抄』



 矢部登さんの『田端抄』が開板された。龜鳴屋本第二十二冊目*1。矢部さんが出されていた冊子「田端抄」については三年ほど前にここで触れたことがあるが*2、「田端抄」全七冊から三十篇、それに新たに四篇を加えて構成したと覚書にある。巻末に木幡英典氏撮影による田端界隈の写真帖が附されている。奥付に貼附された検印替りの村山槐多の水彩画「小杉氏庭園にて」とともに心憎い編集である。ちなみに未醒小杉放菴旧居は、矢部さんのお住まいから「歩いて八十歩たらず」にある由。
 「谷中安規の動坂」という章に、このところ安規の「動坂」をながめている、とある。谷中安規の「動坂」はこんな木版画である。


 「坂道は画面中央にゆるやかな曲線をえがいている。/坂の上の右側には白くぬかれたショーウインドーがあり、そのなかに鳥の剝製があざやかに浮かぶ。左側には住宅の屋根が点在する。夜空には満月が白くおおきくえがかれていて、そのなかに寺の塔が小さく浮かびあがる。(略)満月と寺の塔、鳥の剝製のシルエットが印象にのこる。夢まぼろしと現実の動坂とが溶けあい、妖気がただよう。」


 このショーウィンドウの中の鳥の剝製から、矢部さんは本郷弥生坂の鳥獣剝製所に思いを馳せる。わたしは、仕事で東大本郷キャンパスに幾度も通った。通常は本郷三丁目駅から本郷通りを歩いて赤門か正門へと向かうのだが、ときに根津駅から言問通りに沿って坂をのぼり、二つ目の信号の角を曲がり弥生坂をすこし下って弥生門から行くこともあった(帰りはいつも本郷通り沿いの古本屋を覗きながら本郷三丁目駅へ向かった)。その言問通りの信号の角に鳥獣剝製所があり、通るたびに不思議な佇まいにいつも気が惹かれた。おそらくその前を一度でも通ったことのある人なら誰もが忘れられないにちがいない。


 「その日は、鳥獣剝製所の白い看板とショーウインドーのまえにたちどまり、あらためて見入った。八十年前、谷中安規の幻視した《動坂》が眼のまえにあることに驚愕したのだった。不況からぬけだせぬ平成の時代に、谷中安規は甦り、街なかをほっつきあるく。そのすがたが、ふと、よぎる。弥生坂の鳥獣剝製所あたりで、まぼろしの安規さんと袖すりあわせていたかもしれぬ。」


 鳥獣剝製所といえば思い出すのが富永太郎の「鳥獣剝製所」で、「一報告書」と副題の附いた幻想小説風の味わいのある富永最長篇の散文詩である。
 「過ぎ去つた動物らの霊」「過ぎ去つた私の霊」に牽かれて、「さまざまの両生類と、爬蟲類と、鳥類と、哺乳類」の剝製の犇めきあう古ぼけた理科室のような暗鬱な建物に「私」は足を踏み入れる。剝製たちはみな「私」の荒涼とした心象の外在化であるかのようだ。富永太郎はこの詩を発表した年の霜月、二十四歳で夭折する。翌月、太郎の弟、次郎と中学で同級生となり、のちに富永太郎評価に多大の貢献をした大岡昇平はこの詩を「剝製は時間による忘却の結果であり、私が建物に歩み入ることにより、動物の霊は再生する。散文詩全体は追想の快楽と苦痛を表わそうとしているようである」と評している*3
 「……流水よ、おんみの悲哀は祝福されてあれ! 倦怠に悩む夕陽の中を散りゆくもみぢ葉よ、おんみの熱を病む諦念は祝福されてあれ!(略)炎上する花よ、灼鉄の草よ、毛皮よ、鱗よ、羽毛よ、音よ、祭日よ、物々の焦げる臭ひよ。/さはれ去年(こぞ)の雪いづくにありや、」
 ヴィヨンのルフランのあとの最終聯。
 「私は手を挙げて眼の前で揺り動かした。そして、生きることゝ、黄色寝椅子(ディヴァン)の上に休息することが一致してゐるどこか別の邦へ行つて住まうと決心した。」
 とんでもねえボードレリアンだと後年物議をかもした、と北村太郎は書いている*4。――この世のほかなら何処へでも、か。
 富永太郎の鳥獣剝製所は、大岡昇平によれば「富永の家のあった代々木富ケ谷一四五六番地からほど近い、今日の東大教養学部の構内、当時の農学部、俗に「駒場東大」の一部にあったものを写したらしい」とのこと。駒場と本郷、いずれにしても東大に縁が深い。ちなみに久世光彦の『蝶とヒットラー*5によれば、弥生坂の鳥獣剝製所の剝製の値段は「栗鼠が一万五千円、狸は五万円、狐六万円、鹿の頭部は十三万円、そして鹿全体が五十万円」だそうである。二十五年ほど前の文章だから、さて、いまではいくらぐらいになっているだろうか。この鳥獣剝製所、ただしくは尼崎剝製標本社という。


 話を谷中安規にもどせば、石神井書林内堀弘さんが雑誌「ひととき」に隔月連載されている「古書もの語り」、今月(2月号)は内田百間の『王様の背中』を取り上げている。「谷中安規先生が、美しい版画を、こんなに沢山彫つて下さいました。お蔭で立派な本が出来ました」と百鬼園先生が序(はしがき)でいうとおり、安規の版画がふんだんに収載されたお伽噺集である。文庫版で見てもその楽しさの一端は伝わってくる。
 昭和九年、楽浪書院発行のこの本には二百部作られた特装本がある、と内堀さんは書いている。谷中安規の展覧会でこの特装本を見て溜息が出た、という。「会場では、この本に収められた二十数点の木版画を一点ごとに額装し、壁一面を使って展示していた。そのどれもが不思議と懐かしい」。それからこの本を探しはじめ、ようやく出逢った入札会ではりきって落札した。古書店の先輩に「おっ、ずいぶん頑張るね」とからかわれたそうだ。
 日本の古本屋サイトで検索すると、石神井書林出品の『王様の背中』帙入特装本のお値段は、七十五万六千円となっている。

*1:http://www.spacelan.ne.jp/~kamenaku/

*2:id:qfwfq:20130420

*3:富永太郎中原中也』レグルス文庫、1975

*4:富永太郎詩集』思潮社現代詩文庫・解説、1975

*5:日本文芸社、1993/ハルキ文庫、1997

目の伏せ方だけで好きになる――『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』



 この2ヶ月、これはすごいという作品には巡り会えなかった。なにか書いておきたいと思わせられた作品は、残念ながらほとんどなかった。2つの作品を除いては。もっとも、毎月すごい作品にいくつも出会えるわけはないのだけれど。
 その稀な作品のひとつはスティーヴ・エリクソンの小説『ゼロヴィル』。これは全篇を通じて映画の氾濫する映画好きにはこたえられない小説で、映画批評家でもあるエリクソンの鋭い批評が登場人物をとおして全篇に鏤められている。タイトルはゴダールの『アルファヴィル』の科白から。3月のエリクソンの来日にあわせて2月末には柴田元幸さんの翻訳が白水社から出る予定なので、その頃にまた書く機会があるだろう。
 もうひとつは、先週から始まった連続TVドラマ『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう*1。ふだんはTVをほとんど見ないのだが、坂元裕二脚本のドラマは見逃せない。録画して繰り返し2度見た。
 坂元脚本の『Woman』についてはここで一度書いたことがある*2。その後、wowowの『モザイクジャパン』(2014)、フジテレビの『問題のあるレストラン』(2015)を見たが、いずれもあまり感心しなかった。わたしが坂元裕二に求めているものと肌合いが違っていたからだろう。このたびの『いつ恋』は、間違いなく『Woman』や『それでも、生きてゆく』のテイストにつらなる傑作になるだろう。


 女手ひとつで育てられた杉原音(おと)は、母を亡くし幼い頃から北海道の育ての親のもとで暮らしている。そこへ、音が失くした母の手紙を届けに、運送会社で引越しの仕事をしている曽田練(れん)がトラックに乗ってやってくる。
 音はトラックの品川ナンバーのプレートを見て「あ、新幹線のある駅でしょ」と言う。「あ、はい」「に、住んでるの?」「いえ、住んでるのは雪が谷大塚って」
 雪が谷大塚は東急池上線の駅。西島三重子の名曲「池上線」を思い出させる。練も雪が谷大塚できっと「池上線」の歌詞のような生活と恋をしているのだろう。
 「有名?」と音が訊く。「東京ってひと駅分ぐらい歩けるって本当?」「本当です」「ウソだ」「3駅ぐらい歩けますよ」「ウソ言うな、3駅って選手やん」「選手じゃないです」「競技やん」「競技じゃないです、3駅歩く競技ないです」クスっと笑う音。
 北海道の小さな町、ダムの底に沈むはずだったさびれた町から音は1歩も出たことがないのだろう。音には、東京は友だちとの会話か雑誌かで知った断片的な知識しかない都会だ、ということをこの科白がさりげなく伝えている。
 病の床に伏せっていた養母の容態が悪化し、たまたま通りかかった練のトラックで病院へかつぎ込む。病院の帰り、音は練にファミレスに連れて行ってくれと頼む。初めて来たファミレスに興奮する音。第1回のハイライトともいうべきシーンである。すこし長くなるが、再現してみよう。
 メニューに目移りしてなかなか注文する品が決まらない。大根おろしとトマトソースのハンバーグを両方注文して二人で分けようと提案する練。注文が終わったあともメニューを食い入るように見ている音。「網焼きチキンサンド、ポークソテーきのこクリーム」と目を輝かせて読み上げる。微笑んで見ている練。気づいてちょっときまり悪くなって「引越し屋さんはさ、ファミレスとかよく行く?」「そんなに」「ふーん。付き合ってる人とかいる?」「います」「どんな人?」「会社員」「じゃあさ、改札とか、駅のこっちとこっちとかでさ」とケータイで話す身ぶり。「電話するねとか言う?」「え?」「ね、花火大会とか行ったりする? 家具屋さんに二人で行ったり」「行かないです」「東京の家具屋さんて、すごい広いんでしょう。はぐれたりするんでしょう?」少し首をかしげる練。「ハイヒール?」「はい?」「その人」「ああ、はい」「どんな服着てる?」「服?」「うん」「服は……」自分のセーターとジーンズ、スニーカーを指して「ねえ、こんなのとはちょっと違うでしょう?」「もうちょっとオシャレっていうか」
 坂元裕二の脚本では、他愛のない会話でもその科白の一つひとつが意味をもっている。音は21歳になるまでファミレスに行ったこともなかった。おそらく花火大会も。そういう暮らしを強いられてきたのだろう。子どもの着るスキーウェアのようなセーターも、どこかのスーパーでディスカウントしたものを精一杯奮発して手に入れたにちがいない。新聞配達とクリーニング店でのアルバイトで、高校の学費も自分でまかなったはずだ。
 「ねえ、引越し屋さん、私にだってファッションに強いこだわりありますよ」。すこし意外そうな顔の練。ほらこれを見て、というようにマフラーを見せる音。「(笑って)それはあの、ファッションじゃなくて寒さしのぎですよね」「(笑って)それ言ったら服は全部寒さしのぎだよ」「それ言ったら一番オシャレなのは羊になりますよ」「羊?」「羊」「どうかな」と笑う音。
 やや間があって、「私にも付き合ってた人いましたよ。気象観測部の保利くん。中3から高3まで付き合ってて、けっこう好きでしたよ」「どんなところがですか?」「目の伏せ方?」「なんですかそれ」「わかんない? なんかこう、ふとした時にシュって感じの、わかんない?」「わかんないです」「やってみて」「いや、できないです」「できるって。はい」ぎこちなく下を向く練。「それじゃあ、下向いただけ」と笑う音。「目の伏せ方だけで好きになったんですか?」「なんか、彼が本読んでる時とかに、こう、何読んでるのかなあってこっそり覗き込んだり。あと、中庭に百葉箱ってわかる? 小さい家みたいな、温度計がはいってる箱。あそこに昼休み、保利くんいて、あ、今日フルーツサンド食べてるんだあとか、見てて、不思議だよね、こう、好きな人って、居て見るんじゃなくて、見たら居るんだよね。たとえば教室の……」思い出している。自分に言い聞かせるように「うん」
 「保利くん、いまどうしてるんですか?」「札幌の大学に行った。知り合いが一回偶然会って、元気にしてたって言ってた」。すこし沈み込む音。高3の時に「一緒に札幌の大学を受験しよう」というメールが音に届いたことがあった。家庭の事情で進学を断念したのだろう。音、沈み込んだ気持ちを逸らそうとメニューを手にして「いいアイデアだね、違うの頼んで分けるんだ。トリプルベリーパフェ。ふーん」とひとり言のように言う。音は保利くんとデートしたことがあったのだろうか。一緒にファミレスへ行って他愛のない会話をしたかったと思ったのだろうか。ドラマは大事なことを半分しか語らない。残りの半分は見る者の想像にゆだねられている。「また、見つかりますよ、好きな人」励ますように言う練。聞こえなかったように「ベルギーチョコプリン」とメニューを読む音。「やっぱり好きな人と……」。練は、音が好きでもない金持ちの男と、養父に無理やり結婚させられようとしているのを知っている。聞こえなかったように「一番オシャレなの羊って……」とつぶやく音。
 注文したハンバーグセットが来る。ナイフとフォークで切り分ける練。吹っ切ったように「白井さんと結婚することにした」と音は言う。「さっき病院で決めた。ありがとう。手紙持ってきてくれて。引越し屋さんが言ってたとおり、あれって私のつっかえ棒やったから。ほんまに嬉しかった。結婚する」見つめ合う二人。うなだれるように目を伏せる練。「引越し屋さん」「はい」。目を上げる練。「いま、すごくいい目の伏せ方しましたよ」


 音を演じる有村架純が圧倒的にいい。『それでも、生きてゆく』で、連続ドラマの初めてのヒロインを演じた満島ひかりの再来を思わせる。練の高良健吾も受けの演技をみごとにこなしている。
 音が練と一緒にトラックに乗っているところを目撃した白井は、養父に破談を申し入れにやってくる。玄関で出くわした白井から悪態を投げつけられる音。家の中に入ると、音が後生大事に持っていた母の遺骨を養父がトイレに流しているのを見つける。性懲りもなく今度は中年の男やもめとの縁談を勧める養父。絶望している音を抱えるようにして養母が言う。「音、逃げなさい。もう、あんたの好きなところに行きなさい」。因業親父を振り切って外へ飛び出す音。外は土砂降りだ。土砂崩れの注意警報のサイレンが鳴るなかをひた走る音。通りかかった練のトラックと出会い、乗り込む音。このシークエンスの演出も充実している。主題歌の手嶌葵「明日への手紙」は、このドラマのために作られたかのようにsuitableだ。
 音は上京し、雪が谷大塚に住む。その1年後から第2回が始まる。明日の夜9時が楽しみだ。

植草甚一ふうにいうと……――村上春樹・柴田元幸「帰れ、あの翻訳」についてのあれこれ



 植草甚一ふうにいうと、「MONKEY」最新号の村上春樹柴田元幸の対談を読んで、村上春樹はホントにアメリカの小説をよく読んでいるなあと唸ってしまった。この対談は特集の「古典復活」にちなんで、絶版や品切れになっている英米の小説について二人が語り合ったものだ。古典復活といってもここに出てくるのはいわゆるクラシックな小説ではなく、30〜40年ぐらい前にふつうに読むことのできた翻訳小説がほとんどで、だから対談のタイトルも「帰れ、あの翻訳」となっている。村上さんはわたしより2歳年上、柴田さんは3歳年下、したがってわたしはお二人のちょうど真ん中あたりの世代になるのだけれど、読書体験としてはほぼ同世代といっていいだろう。お二人が選んだ〈復刊してほしい翻訳小説〉50冊、それぞれの書影が出ていて――相当に年季の入ったくたびれた本なのでおそらく蔵書を撮影したものだろう――いずれも8割方はわたしの蔵書と重なっている。処分してもう手元にない本もあるけれど、だいたいわたしも20〜30歳代に読んでいた本ばかりである。品切れになっているのは当然で、かといって取り立てて珍しい本というわけではなく、古本屋へ行けばいまでも均一本で転がっているような本がほとんどだ。書影についてはあとで触れるとして、まずは対談についてちょっと思いついたことを書いてみよう。


 「僕がフィッツジェラルドを訳しはじめたころも、『グレート・ギャツビー』と短篇が少し出ているぐらいで、あとはほとんど出ていなかった」(村上さん)
 村上さんがフィッツジェラルドを訳しはじめたのは、ウィキペディアによると1979年、「カイエ」に載った「哀しみの孔雀」が最初で、81年に「哀しみの孔雀」を含む短篇集『マイ・ロスト・シティー』の単行本が刊行される。柴田さんが注で書いているように、フィッツジェラルドは81年に荒地出版社が作品集(全3巻)を出して短篇もそれなりに読めるようになったが、村上訳『マイ・ロスト・シティー』と2冊の『ザ・スコット・フィッツジェラルド・ブック』がフィッツジェラルド再評価の先鞭をつけたといっていいかと思う。それより10年ほど前、わたしの学生時代にはエリザベス・テイラーのスティル写真がカバーになった角川文庫の『雨の朝巴里に死す』(飯島淳秀訳、映画化された「バビロン再訪」の邦題)、新潮文庫の『華麗なるギャツビー』(野崎孝訳、これは名訳だと思う)、それに角川文庫の『夢淡き青春』(大貫三郎訳、副題にグレート・ギャツビーと付いていたけれど、なんでこんな邦題にしたのだろう)あたりをよく見かけたものだ。角川文庫版の『夜はやさし』(谷口陸男訳)はすでに絶版になっていたように思う(のちに金色のカバーで復刊される)。


 「マッカラーズ、個人的に大好きで、『心は孤独な狩人』が絶版なのはすごく残念で、自分で訳したいくらいなんだけど、何せ長いからなあ」(村上さん)
 柴田さんが「映画にもなってますね。邦題は『愛すれど心さびしく』」と応えている。この映画は見ていないけれど、『ママの遺したラヴソング』という映画で、スカーレット・ヨハンソンが寝食を忘れて読みふけっていた、死んだ母親の好きだった小説が『心は孤独な狩人』のペーパーバックだった。母親のかつてのボーイフレンドでアル中の元英文学教授がジョン・トラボルタで、かれがT・S・エリオットの詩「四つの四重奏」を朗唱したりするのだけど、こういった映画のなかの文学趣味がわたしは嫌いではない。『ミリオンダラー・ベイビー』でイーストウッドがつぶやくW・B・イェーツの詩「イニスフリーの湖島」もよかった*1。あれはジョン・フォードの『静かなる男』へのオマージュなのかもしれない。マッカラーズの『結婚式のメンバー』を村上さんが訳しているそうだ。これはたのしみ。


 「研究者のあいだでは、同じアメリカ南部の女性作家ということで、マッカラーズはフラナリー・オコナーとよく較べられて、オコナーの方がすごいと言われがちです」(柴田さん)
 南部の女性作家ってことだけで較べられてもなあ、と思うよねえ。アメリカ北部の男性作家という括りで誰かと誰かを比較したりしないもんね。村上さんにいわせれば、それは「ジム・モリソンとポール・マッカートニーを較べるようなものですよ」ということになる。さすが、比喩が的確だ。昨年と今年、『フラナリー・オコナーとの和やかな日々』『フラナリー・オコナージョージア』の2冊が翻訳刊行された(いずれも新評論から)。オコナー再評価の機運があるのだろうか。オコナーの短篇「善人はなかなかいない」には、佐々田雅子の新訳がある*2
 翻訳家大久保康雄について、柴田さんが「個人の翻訳者というよりは「大久保康雄」という名の翻訳工房であり、面倒見のよい個人・大久保康雄の統括の下、総じて良質の翻訳が大量に生産された」と注に書いている。へえ、そうなんだ。わたしたちの世代はみんな大久保センセイの翻訳にお世話になりましたね。いま新訳が刊行中の『風と共に去りぬ』とか、ヘミングウェイとかヘンリー・ミラーとかO・ヘンリーとかダフネ・デュ・モーリアとか、もうあれもこれも大久保センセイの翻訳だった。常人の仕事量ではありませんね。ちなみに『風と共に去りぬ』を大久保康雄と共訳した竹内道之助は三笠書房創立者でもあるけれど、三笠からクローニン全集というのを全巻個人訳で出していた。クローニンって、いまはもうほとんど忘れられた作家だけど、むかしはクローニン原作のテレビドラマなんかが幾つもあってけっこう読まれてたのね。石坂浩二樫山文枝の「わが青春のとき」とか。ぼくも原作買って読んだもん。どちらかというと大衆的な小説家だけど復刊すると意外と受けるかもしれませんね。
 復刊といえば、柴田さんが対談で挙げているマラマッドの『店員』(『アシスタント』の題で新潮文庫から出ていた)や、オコナーの『烈しく攻むる者はこれを奪う』を復刊した文遊社は目の付け所が絶妙ですね。ナボコフの『プニン』に、ペレックの『物の時代 小さなバイク』、サンリオSF文庫で出ていたアンナ・カヴァンデイヴィッド・リンゼイ。最近ではグラックの『陰欝な美青年』。「おお、そうきたか」って、なんか一昔前の文学好きといった感じの選書だな。個人的な希望をいわせてもらうと、『陰欝な美青年』と同じ筑摩の海外文学シリーズで出ていたデープリーンの『ハムレット』、ビュトールの『仔猿のような芸術家の肖像』、ヒルデスハイマーの『眠られぬ夜の旅』(新潮社の『詐欺師の楽園』も)、河出のブッツァーティ『ある愛』、アルトマン『サセックスフランケンシュタイン』、サンリオのジョン・ファウルズ『ダニエル・マーチン』、SF文庫のボブ・ショウ『去りにし日々、今ひとたびの幻』、スラデックの『言語遊戯短編集』なんかをぜひ復刊していただきたい。それに青柳瑞穂訳の『アルゴオルの城』(人文書院)とかね。あーあ、こんなこと書いてたらキリないな。最初に書いた書影について急いで触れておこう。


 まずは村上さんの〈復刊してほしい翻訳小説50〉から。ケン・コルブの『傷だらけの青春』(角川文庫)。写真では背しか見えないけれど、表紙カバーはエリオット・グールドキャンディス・バーゲンのツーショット。映画『…YOU…』のスティル写真である。好きだったな、この映画。主題歌(映画原題と同じ GETTING STRAIGHT*3)もよかった。ダリル・ポニクサンの『さらば友よ』は映画『さらば冬のかもめ』の原作*4。これも角川文庫で、この頃(1970年前後)角川文庫から外国映画の原作本が続々と出ていたんですね。これはたしか角川春樹さんの仕事で、のちの角川映画のメディアミックス(横溝正史とか森村誠一とか)につながってゆく。『マッシュ』も『くちづけ』も映画の原作。けっこう原作本を読んでるんですね、村上さんは。
 左上に掲げられている絵はジョン・ファウルズの『魔術師』の原書ダストジャケット*5。ちょっとシュールで面白い絵なので調べてみた。画家はトム・アダムスさん*6。ここに掲げておこう。

 柴田さんの〈復刊してほしい翻訳小説50〉には、ダニロ・キシュやミロラド・パヴィチなど、英米以外の作家も挙げられている。パヴィチの『ハザール事典』は先頃、文庫化された。ドナルド・バーセルミの『口に出せない習慣、奇妙な行為』はサンリオSF文庫から出ていたが、『口に出せない習慣、不自然な行為』と改題されて彩流社から復刊された。復刊本も品切れのようだ。ゼーバルトの『アウステルリッツ』も挙がっているけれど、これは品切れ中なのか。単行本が出て、ゼーバルト・コレクションに入るときに「改訳」されたが、実際は、重版の際にほどこすのと同等の小さな手直しである。ナサニエル・ウェストの『いなごの日』と『クールミリオン』(いずれも角川文庫)は、改訳するかそのまま岩波文庫にでも入ればいいのに。『孤独な娘』も入ったことだしね。

MONKEY Vol.7 古典復活

MONKEY Vol.7 古典復活

*1:脚本はポール・ハギス。かれの監督作品『サード・パーソン』は、今年BSで見た100本ほどの映画のなかのベスト。

*2:「善人はそういない」、アンソロジー『厭な物語』文春文庫所収。

*3:https://www.youtube.com/watch?v=vWER0TLWLuo

*4:さらば冬のかもめ』はアメリカン・ニューシネマの代表作の1本。監督がハル・アシュビー、脚本がロバート・タウンハル・アシュビーハスケル・ウェクスラー(撮影)コンビの『帰郷』で、ジェーン・フォンダジョン・ボイトはそろってオスカー主演賞を手にした。ベトナム反戦映画の代表作。ジョン・ボイトアンジェリーナ・ジョリーのお父さんですね。ロバート・タウンはわがオールタイムベストの1本『テキーラ・サンライズ』で監督も務めた。Allcinemaの『テキーラ・サンライズ』の解説には不賛成。『さらば冬のかもめ』、BSでやんないかな。

*5:Published by London: Jonathan Cape,1966

*6:http://www.tomadamsuncovered.co.uk/index.html