目の伏せ方だけで好きになる――『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』



 この2ヶ月、これはすごいという作品には巡り会えなかった。なにか書いておきたいと思わせられた作品は、残念ながらほとんどなかった。2つの作品を除いては。もっとも、毎月すごい作品にいくつも出会えるわけはないのだけれど。
 その稀な作品のひとつはスティーヴ・エリクソンの小説『ゼロヴィル』。これは全篇を通じて映画の氾濫する映画好きにはこたえられない小説で、映画批評家でもあるエリクソンの鋭い批評が登場人物をとおして全篇に鏤められている。タイトルはゴダールの『アルファヴィル』の科白から。3月のエリクソンの来日にあわせて2月末には柴田元幸さんの翻訳が白水社から出る予定なので、その頃にまた書く機会があるだろう。
 もうひとつは、先週から始まった連続TVドラマ『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう*1。ふだんはTVをほとんど見ないのだが、坂元裕二脚本のドラマは見逃せない。録画して繰り返し2度見た。
 坂元脚本の『Woman』についてはここで一度書いたことがある*2。その後、wowowの『モザイクジャパン』(2014)、フジテレビの『問題のあるレストラン』(2015)を見たが、いずれもあまり感心しなかった。わたしが坂元裕二に求めているものと肌合いが違っていたからだろう。このたびの『いつ恋』は、間違いなく『Woman』や『それでも、生きてゆく』のテイストにつらなる傑作になるだろう。


 女手ひとつで育てられた杉原音(おと)は、母を亡くし幼い頃から北海道の育ての親のもとで暮らしている。そこへ、音が失くした母の手紙を届けに、運送会社で引越しの仕事をしている曽田練(れん)がトラックに乗ってやってくる。
 音はトラックの品川ナンバーのプレートを見て「あ、新幹線のある駅でしょ」と言う。「あ、はい」「に、住んでるの?」「いえ、住んでるのは雪が谷大塚って」
 雪が谷大塚は東急池上線の駅。西島三重子の名曲「池上線」を思い出させる。練も雪が谷大塚できっと「池上線」の歌詞のような生活と恋をしているのだろう。
 「有名?」と音が訊く。「東京ってひと駅分ぐらい歩けるって本当?」「本当です」「ウソだ」「3駅ぐらい歩けますよ」「ウソ言うな、3駅って選手やん」「選手じゃないです」「競技やん」「競技じゃないです、3駅歩く競技ないです」クスっと笑う音。
 北海道の小さな町、ダムの底に沈むはずだったさびれた町から音は1歩も出たことがないのだろう。音には、東京は友だちとの会話か雑誌かで知った断片的な知識しかない都会だ、ということをこの科白がさりげなく伝えている。
 病の床に伏せっていた養母の容態が悪化し、たまたま通りかかった練のトラックで病院へかつぎ込む。病院の帰り、音は練にファミレスに連れて行ってくれと頼む。初めて来たファミレスに興奮する音。第1回のハイライトともいうべきシーンである。すこし長くなるが、再現してみよう。
 メニューに目移りしてなかなか注文する品が決まらない。大根おろしとトマトソースのハンバーグを両方注文して二人で分けようと提案する練。注文が終わったあともメニューを食い入るように見ている音。「網焼きチキンサンド、ポークソテーきのこクリーム」と目を輝かせて読み上げる。微笑んで見ている練。気づいてちょっときまり悪くなって「引越し屋さんはさ、ファミレスとかよく行く?」「そんなに」「ふーん。付き合ってる人とかいる?」「います」「どんな人?」「会社員」「じゃあさ、改札とか、駅のこっちとこっちとかでさ」とケータイで話す身ぶり。「電話するねとか言う?」「え?」「ね、花火大会とか行ったりする? 家具屋さんに二人で行ったり」「行かないです」「東京の家具屋さんて、すごい広いんでしょう。はぐれたりするんでしょう?」少し首をかしげる練。「ハイヒール?」「はい?」「その人」「ああ、はい」「どんな服着てる?」「服?」「うん」「服は……」自分のセーターとジーンズ、スニーカーを指して「ねえ、こんなのとはちょっと違うでしょう?」「もうちょっとオシャレっていうか」
 坂元裕二の脚本では、他愛のない会話でもその科白の一つひとつが意味をもっている。音は21歳になるまでファミレスに行ったこともなかった。おそらく花火大会も。そういう暮らしを強いられてきたのだろう。子どもの着るスキーウェアのようなセーターも、どこかのスーパーでディスカウントしたものを精一杯奮発して手に入れたにちがいない。新聞配達とクリーニング店でのアルバイトで、高校の学費も自分でまかなったはずだ。
 「ねえ、引越し屋さん、私にだってファッションに強いこだわりありますよ」。すこし意外そうな顔の練。ほらこれを見て、というようにマフラーを見せる音。「(笑って)それはあの、ファッションじゃなくて寒さしのぎですよね」「(笑って)それ言ったら服は全部寒さしのぎだよ」「それ言ったら一番オシャレなのは羊になりますよ」「羊?」「羊」「どうかな」と笑う音。
 やや間があって、「私にも付き合ってた人いましたよ。気象観測部の保利くん。中3から高3まで付き合ってて、けっこう好きでしたよ」「どんなところがですか?」「目の伏せ方?」「なんですかそれ」「わかんない? なんかこう、ふとした時にシュって感じの、わかんない?」「わかんないです」「やってみて」「いや、できないです」「できるって。はい」ぎこちなく下を向く練。「それじゃあ、下向いただけ」と笑う音。「目の伏せ方だけで好きになったんですか?」「なんか、彼が本読んでる時とかに、こう、何読んでるのかなあってこっそり覗き込んだり。あと、中庭に百葉箱ってわかる? 小さい家みたいな、温度計がはいってる箱。あそこに昼休み、保利くんいて、あ、今日フルーツサンド食べてるんだあとか、見てて、不思議だよね、こう、好きな人って、居て見るんじゃなくて、見たら居るんだよね。たとえば教室の……」思い出している。自分に言い聞かせるように「うん」
 「保利くん、いまどうしてるんですか?」「札幌の大学に行った。知り合いが一回偶然会って、元気にしてたって言ってた」。すこし沈み込む音。高3の時に「一緒に札幌の大学を受験しよう」というメールが音に届いたことがあった。家庭の事情で進学を断念したのだろう。音、沈み込んだ気持ちを逸らそうとメニューを手にして「いいアイデアだね、違うの頼んで分けるんだ。トリプルベリーパフェ。ふーん」とひとり言のように言う。音は保利くんとデートしたことがあったのだろうか。一緒にファミレスへ行って他愛のない会話をしたかったと思ったのだろうか。ドラマは大事なことを半分しか語らない。残りの半分は見る者の想像にゆだねられている。「また、見つかりますよ、好きな人」励ますように言う練。聞こえなかったように「ベルギーチョコプリン」とメニューを読む音。「やっぱり好きな人と……」。練は、音が好きでもない金持ちの男と、養父に無理やり結婚させられようとしているのを知っている。聞こえなかったように「一番オシャレなの羊って……」とつぶやく音。
 注文したハンバーグセットが来る。ナイフとフォークで切り分ける練。吹っ切ったように「白井さんと結婚することにした」と音は言う。「さっき病院で決めた。ありがとう。手紙持ってきてくれて。引越し屋さんが言ってたとおり、あれって私のつっかえ棒やったから。ほんまに嬉しかった。結婚する」見つめ合う二人。うなだれるように目を伏せる練。「引越し屋さん」「はい」。目を上げる練。「いま、すごくいい目の伏せ方しましたよ」


 音を演じる有村架純が圧倒的にいい。『それでも、生きてゆく』で、連続ドラマの初めてのヒロインを演じた満島ひかりの再来を思わせる。練の高良健吾も受けの演技をみごとにこなしている。
 音が練と一緒にトラックに乗っているところを目撃した白井は、養父に破談を申し入れにやってくる。玄関で出くわした白井から悪態を投げつけられる音。家の中に入ると、音が後生大事に持っていた母の遺骨を養父がトイレに流しているのを見つける。性懲りもなく今度は中年の男やもめとの縁談を勧める養父。絶望している音を抱えるようにして養母が言う。「音、逃げなさい。もう、あんたの好きなところに行きなさい」。因業親父を振り切って外へ飛び出す音。外は土砂降りだ。土砂崩れの注意警報のサイレンが鳴るなかをひた走る音。通りかかった練のトラックと出会い、乗り込む音。このシークエンスの演出も充実している。主題歌の手嶌葵「明日への手紙」は、このドラマのために作られたかのようにsuitableだ。
 音は上京し、雪が谷大塚に住む。その1年後から第2回が始まる。明日の夜9時が楽しみだ。