百句繚乱

 

 

『百句燦燦』は、塚本邦雄が精選した、というよりも鍾愛する現代俳句百句を掲出し、鑑賞文を附した詞華集で、その講談社文芸文庫版の解説を橋本治はこう書き出している。

 「私が書店の棚にある『百句燦燦』を見たのは、二十六歳の秋だった。」

 二十六歳といえば一九七四年、「桃尻娘」で小説現代新人賞を受賞(佳作)する三年前のことだ。橋本治にとって、塚本邦雄は「畏敬」する存在であったが、「現代俳句への関心もなかったし、知識もなかった」ので買うのををためらった(高価でしたからね。当時の三千六百円の定価は、今ならだいたい一万円ぐらいの感じだろうか)。だが、「ここにはなにか、自分の分かりたいものがある」と思い購入した。

 巻頭の一句、石田波郷の「金雀枝や基督に抱かると思へ」には「いかにも塚本邦雄好みだな」と思ったが、第二句目の下村槐太「河べりに自転車の空北斎忌」にはびっくりした。文字の並びが、そのまま「絵」になって見えたからだ。

「私が見た「絵」は、朱紅の空を背景にして高くそそり立つ、暗い河原の土手である。その上に頑丈な荷台を持つ自転車が一台立っている。人の姿はなくて、向こうから差しつける光を受けた銀色のスポークが光っている。空が錆びた朱紅の色なのは、夕焼けではなくて、北斎の描いた赤富士が巨大化して、一面の空になってしまっているからである。だから、そこには一片の雲もない。ただ、朱紅の空だけがあって、銀色のスポークを光らせる暗い自転車の影だけがある。その壮大にして残酷な悲しみが、すごいと思った。」

 橋本治は「この句が絵であってもいいのだな」と思い、そういえば、自分は短歌や俳句にいつも「絵」を見ていたのだ、と思った。わたしはこのくだりを読んで「そうかそうか、橋本治もそうだったのか」と思い、嬉しくなった。わたしもまた短歌や俳句に、絵を、イメージを読み取るのがつねだった。「河べりに」の句は、わたしなら映画『男はつらいよ』の冒頭に出てくるような土手に止めてある自転車を下方からあおり(仰角)で撮ったイメージで、空が青空なのは『男はつらいよ』に引き摺られているのかもしれないが、自転車は橋本治と同じくあくまで昔ながらの「頑丈な荷台を持つ自転車」でなければならない。塚本邦雄もこの句から受けるイメージを鑑賞文で仔細に描いているけれど、わたしの場合はそれほど詳細な絵ではなく、土手にとめられた自転車とどこまでも広がる青空だけの単純なものだ。

 ちなみに自転車といえば、塚本邦雄の短歌「医師は安楽死を語れども逆光の自転車屋の宙吊りの自転車」も、わたしが思い浮べるのは、自転車屋の店頭に吊り下げられた自転車がふりそそぐ陽光のなかに浮び上がっているという、ただそれだけの単純なイメージだが、自転車はなぜか逆さまに吊り下げられていて、医師も安楽死も登場しない。これらはどこにでもありそうなありふれた状景だが、それがなぜわたしに限りなく美的なものに思えるのか。俳句にせよ短歌にせよ、文字がイメージを喚起し、イメージが文字を喚起する。そのウロボロスに似た在り様にその秘密がありそうな気がするけれど、まだよくわからない。

 単純な状景といえば、赤尾兜子の句「「花は変」芒野つらぬく電話線」が喚起するイメージも、なにもないだだっ広いだけのススキ野に電話線がどこまでも続いているというもので、単純ではあるけれど現実にはありえない状景なので、シュールで不穏なイメージでもある。そこが「変(異変)」にもつながるのだろう。塚本邦雄は『百句燦燦』でこの句を掲出し、もっぱら上五句の「花は変」についてあれこれ考察を試みているが、塚本の鑑賞はイコン(イマージュ)よりもイデアの分析に傾いているようだ。

 このほど上梓された藤原龍一郎の労作『赤尾兜子の百句』では、この句について次のような鑑賞文が附されている。

カギカッコに入れられた「花は変」をどのように解釈すべきなのか? それは兜子の独特の直感なのかもしれない。花こそが変であるとは、類型的な花のイメージを壊すものである。九世紀の薬子の変や幕末の禁門の変といった歴史的な謀反事件をあらわす変なのか。

 それに配する芒野をつらぬく電話線は、凶報を伝えているのだろうか。映像を思い浮かべると、不吉な花のシンボルを塗りつぶす荒涼たるススキの野と電線。救いのない画面が浮かんでくる。」

 わたしのいう不穏なイメージと「救いのない画面」に、受け取り方の共通性があるように思われる。藤原氏はさらに一歩踏み込んで、電話線は凶報を伝えているのかもしれないという。なるほど。だとすれば、野原をつらぬいて延びるこの電話線は、禁門の変桜田門外の変といった凶事を現代に伝える時間機械のようなものであるのかもしれない。

赤尾兜子の百句』はふらんす堂の百句鑑賞シリーズの最新刊。兜子の句、百句を掲出し、短文を附したもので、兜子俳句の「誰にも似ていない異貌」をよく伝えている。「ささくれだつ消しゴムの夜で死にゆく鳥」や「音楽漂う岸侵しゆく蛇の飢」といった代表句に見られる、前衛俳句のなかでもとりわけ屹立した異貌と、初期俳句の清新な抒情、晩年の古典的な均整、といった変幻する「多面体」がこのコンパクトな一冊に凝縮されている。

 藤原龍一郎歌人として知られるが、かつて兜子主宰の俳句結社「渦」に所属し、藤原月彦の名で審美的な俳句を詠んでいた。わたしが藤原月彦の名を初めて知ったのは「季刊俳句」第二号(中央書院・一九七四年一月刊)に投句された「王権神授説」三十句によってである。月彦二十一歳、句歴三カ月の大学生だった。その伝説的な句業の全貌は、二年前に上梓された『藤原月彦全句集』で見ることができる。