なつかしい文学の味

 

 何ヶ月前のことだったかもうさだかではないけれど、たぶん新型コロナウィルス騒ぎがまだ勃発していなかった頃、金井久美子、美恵子姉妹のトークイベントが金井美恵子の体調不良だったかで金井久美子ひとりのトークショーになったということをネットか何かで目にしてちょっと気になっていたのだった(いまネットであらためて検索してみると、それは去年12月4日に東京堂書店で行なわれるはずの『武田百合子対談集』刊行記念のトークイベントだった)。その半年ほど前に加藤典洋が、年が明けて早々に坪内祐三が急逝し、つい最近長谷川郁夫が亡くなるなど不穏なことが立て続けに起っていたし、「文学界」の金井美恵子の連載(といっていいのかどうか、この項つづくといった感じでだらだらと続いていたエッセイ)も休載になるしで、金井さんは息災だろうかと時折りネットで「金井美恵子 病気」と検索してみたりしたのだけれどなにも情報を得られないまま時が過ぎていた。ところがこのたび突然「ちくま」6月号で「重箱のすみから」という金井さんの連載がはじまり、当然というか第1回目は昨年11月に身にふりかかった疾患と新型コロナウィルスの話に終始し、疾患のほうは3月まで通院してどうやら治癒されたらしく紋切型表現でいうところのほっと胸をなでおろすという次第にいたったのだった。

 連載は、

新型コロナウイルス感染症対策専門家会議副座長を務める尾身茂・地域医療機能推進機構理事長」と、その長い肩書きを念入りに、つい書いてみたくなる人物

と、じっさいに二度も長い肩書きを書いて見せたりするところが金井美恵子調の健在ぶりを示しおおいに笑わせてくれた。ついでに書いておくと「煽情的な経済小説の書き手である真山仁」が朝日新聞に書いた「脆弱な危機管理 さらけ出した安倍政権」というタイトルの「エンタメ小説調」の文章を引用してみせているのだけれど、金井美恵子はたとえば『ハゲタカ』のような(?)「煽情的な経済小説」をじっさいに読んだのだろうか。

 もうひとつついでに書いておくと、この「ちくま」6月号には、ちくま文庫で刊行がはじまった「現代マンガ選集」に関連した中条省平夏目房之助の対談が掲載されており、そこに「現代マンガ選集」全8巻の概要が罫線囲みで載っているのだけれど、ラインナップの7月刊行予定のあとに6月刊行予定がきたり(8月の誤植か)12月刊行予定が2冊だったり(1冊は11月だろう)と情報としての正確さに欠けるのはこれも新型コロナウィルスのせいだろうか。 

 ところで、前回のつづきというわけでもないけれど、ある書評家が『体温』を高く評価した文章を発表していて、それはそれで嬉しくおもったのだけれど、文中で多田尋子のことを「三十年近く前に筆を折った」と書いていて「あらあら」とおもった。多田さんがもしその記事を目にされていたら「ちょっと違うんだけどなあ」とおもわれたことだろう。最後の作品集『仮の約束』が講談社から出たのは1994年のことで、このたびの新刊『体温』とのあいだには25年の開きがあるにはあるけれど、『仮の約束』のあとも「三田文学」(95年)や「季刊文科」(96年、2000年)などに時折り短篇を発表されているし、「群像」(97年)にも短篇「躑躅」を発表されていて寡作ながらも作家活動は続けていられた。主要な発表舞台である「海燕」が96年に廃刊となったのが多田さんにとっては大きな痛手だったろう。編集者の督励によって作家は小説を書き続けられるのである。

 山田稔さんが「みすず」(2020年1・2月合併号)恒例の読書アンケートに『体温』をあげていられた。「六回も芥川賞候補になりながらその後文壇から消えた」と書かれている。「三田文学」や「季刊文科」などはいわゆる文芸誌とは呼ばない。つまり文壇の埒外なのである。つづけて、次のように評されていた。

「当時私はその作品を二、三読み好感をいだきながらも忘れていた。このたび読み返しいいなと思った。男性に心を寄せながらつねに距離をおき、そうすることで自由と孤独をもちつづけようとねがう中年女性の、つよく寂しい生き方を地味な文体でしずかに描く作風に、なつかしい文学の味を久しぶりにおぼえた。」

 ――なつかしい文学の味。

 それは当時、すなわち30年ほど昔であってさえ「なつかしさ」を感じさせるものだったろう。「新味なんて、じきに消えてなくなるものです」と三浦哲郎が書いている。文学の味は万古不易である。