一期は夢よ ただ狂へ――梯久美子『狂うひと』


――おひさしぶり。最近どうしてる?
――浦の苫屋の侘び住まい。
――なにそれ。
――酒も薔薇もなかりけり。あいかわらず本と映画の日々ですよ。たまに仕事を少々。
――最近、なにか面白い本読んだ?
――遅ればせながら『狂うひと』を読み終えたばかり。
――島尾ミホの評伝ね。
――圧倒的だったな。六百頁をこえる大著で、眼疾の身にはこたえたけれど。
――どうすごいの?
――『死の棘』の夫婦には一種神話化されたところがあるでしょう? それを資料をもとに解きほぐして脱神話化する手腕に敬服した。
――たとえば?
――島尾敏雄の最大の理解者といわれる吉本隆明奥野健男、それに『死の棘』文庫版の解説を書いた山本健吉らによって、島尾夫婦にはある種のイメージができあがったわけだね。南の島を守るためにヤマトからやってきたマレビトと、巫女の血をひく島のおさの娘が結ばれる。だがやがて夫の不貞を機に妻は精神に異常をきたしてゆくという悲劇。島尾隊長と出会ったミホを吉本や奥野は「島の少女」と表現するのだけれど、ミホはそのとき25歳だったんだね。
――立派な大人の女ね。
――当時なら「行かず後家」と言われても不思議じゃない。島尾敏雄とは二つ違いだったんだからね。
――どうして少女って書いたのかな。
――「少女」という言葉の処女性が巫女につながること、それと、か弱さや幼さが守られるものというイメージに合致するためだと著者は書いている。ある種の神話的構図のなかに二人を押し込んだんだね。囚われたお姫様を救出にきた王子みたいなね。
――いかにも男の評論家が書きそうなことね。
――でもそれが定着して、今に至るまで「少女」って書かれているそうだよ。それと、ミホは元をたどれば確かに司祭職につながる家系の養女だけれど、巫女じゃない。東京の高等女学校で教育を受けたインテリで、島ではひときわ目を惹くモダンガールだった。島尾敏雄と出会ったときは代用教員として子どもたちを教えてたんだね。
――「瀬戸内少年野球団」の女先生みたいね。
――奄美だからニライカナイの伝承と結びつけて神話化されたけれど、淡路島じゃそうはゆかなかったね。島の住民にどう受け止められたかはともかく、島尾隊長は島民を守るためにやってきたのじゃない。特攻基地は本土ヤマトの防波堤であり、ひとつ間違えば沖縄のように住民の集団自決もありえたんだからね。
――島尾が小説に書いているように、出撃直前に終戦になって命が助かるのね。島の人たちも。
――8月13日の夕方に特攻戦が下令され出撃を待機していたら、翌る14日にポツダム宣言を受諾するのだから間一髪だったね。島尾隊長が出撃したらミホは自決するつもりだった。
――終戦になって島尾隊長はどうしたの?
――ミホの親に結婚を申し込んで本土へ帰るんだけど、ミホが島尾を追って島を出たのは三か月後、闇船で嵐に遭いながらひと月かかって鹿児島へ着いたそうだよ。
――命からがらの航海だったのね。そうして二人は結ばれるんだけど、夫に愛人がいるのを島尾の日記で知った妻は精神に異常をきたす。
――『死の棘』冒頭のインキ壺事件をきっかけにね。だけど、島尾はミホが読むことを想定して日記を書いていたんだね。インキ壺事件のずっと前から、ミホは島尾の日記を読んで、書き込みまでしていたというんだからね。
――夫の日記に書きこむの?
――そう。それで徳冨蘆花を思い出した。あの夫婦も、妻が蘆花の日記を偸み読みして、日記に書き込んでいたらしいね。
――以前、あなたがブログに書いた『蘆花日記』ね*1
――そう、破天荒さでは甲乙つけがたい夫婦だねえ。ともあれ、島尾はミホが日記を読むことを知っていながら、いや、もっといえばミホに読ませるために愛人のことを日記に書いたんだ。
――なぜ?
――もちろん、小説に書くために。じっさいそのすぐあとで、それを題材にしたらしい「審判の日の記録」という小説を書き始めているんだから。島尾の誤算は、妻の嫉妬が予想外の長期にわたってあれほど精神を蝕む結果になると思わなかったことだろうな。まあ、おかげで『死の棘』という文学史に類のない傑作を残すことになったのだから、もって瞑すべしというべきかもしれないけれど。
――小説家の妻になんてなるもんじゃないわね。
――でもね、どうも妻のほうも夫に加担していたふしがあるんだ。
――どういうこと?
――愛人からの電報が届いたり紙片が郵便受けに入れられていたりするんだけど、それはミホが仕組んだ可能性がある。あるいは、島尾の自作だったかもしれない。さらにいえば、島尾の狂言を知ったうえでミホがそれに加担したのかもしれない。
――まさか。
――精神病院にまで入るのだから彼女が精神に変調をきたしたのは事実だけど、なにかに憑かれたような錯乱状態がコントロールできないまでに昂じたのかもしれないな。島尾はミホが読んだ日記のほかにもう一つ、裏日記というようなものも書いていたらしいんだ。息子の伸三さんが証言してるよ。そういえば、伸三さんが「知力も体力もある二人が総力戦をやっていたような夫婦だった」と評しているのが言い得て妙だな。
――妻を狂わせてまで小説を書くって、小説家の「業」みたいなものかしら。
――富士正晴が島尾の文学を「永遠につづく不安定志向の文学」だと書いているよ。「島尾は世界が安定していると窒息しそうになり、それに裂け目が出来そうになると、不安に満ちた息づかいになりつつも、それで却って落ち着く(安心するという意味ではない)というところがあるようである」と。
――やっかいな人ねえ。
――著者はその引用につづけて「ミホはミホで、自分が存分に狂ってみせることが、よどんで閉塞した状況に風穴をあけることになると、無意識のうちに気づいていたかもしれない」と書いているね。
―― 一種の共犯関係ね。『死の棘』の二人のたたかいって凄絶なんだけど、傍目にはちょっと滑稽でもあって、ひたむきに演じてるってところがあるわよね。
――総力戦でね。
――愛人についてはなにも書いてないの?
――『死の棘』の単行本が出たときにはすでに他界していたらしいね。著者は愛人の友人だった稗田宰子という人に会って話を聞くんだけど、女優の三宅邦子に似た知的な女性で、決してエキセントリックなタイプではなかったそうだ。この稗田宰子って、塚本邦雄と同人誌「メトード」をやってた稗田雛子のことでね。その後上京して、島尾やその愛人らと「現在の会」に所属するんだけど、大阪にいる頃から毛糸を使った織物などをつくって売っていた、とあって「ああそうか」と思ったな。彼女の「私とてジャケツ脱ぐ時ひとすぢの毛糸ぬぐとはさらさら思はぬ」という歌が好きでね。ああそれで毛糸か、と思ったわけ。余談だけど。
――愛人の女性はなにか書き遺してないの?
――小説も書いてたらしいけど、島尾とのことはなにも遺してないようだね。稗田さんは『死の棘』の一方的な書き方に憤慨してるよ。あの小説の「犠牲者」だと。
――そうよねえ、最後まで「あいつ」だものねえ。
――吉本隆明も「この愛人の女性がその後どうなったのか」を島尾は書くべきだった、それが文学だと著者に語っているよ。でも「犠牲者」といえば、いちばんの犠牲者は娘のマヤさんじゃないかな。聡明で快活だった少女が十歳で言葉を失うんだから。哀しいね。埴谷雄高は中学生の頃のマヤの「ものいわぬ無垢な魂」に深い感銘を受けたと書いているよ。「生の悲哀がかくも美しい静謐を内包していることを教えられた」と。
――むごいわね、文学って。
――文学がむごいんじゃない。生のむごさに目をそむけずに直視するのが文学なんだ。


狂うひと ──「死の棘」の妻・島尾ミホ

狂うひと ──「死の棘」の妻・島尾ミホ

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