美(くは)しきものはいのち短し

某月某日
 さる雑誌のために村上春樹の新訳『ロング・グッドバイ』の書評原稿を書く。読みながら何度も清水俊二訳『長いお別れ』を参照する。つい参照しないではいられないほどの目覚しい刷新ぶり。『大いなる眠り』(双葉十三郎訳)を除くチャンドラーのほとんどの長篇を清水俊二が訳しているため、チャンドラーといえば清水俊二、と条件反射のようにインプットされていたけれども(短篇なら稲葉明雄だ)、この『ロング・グッドバイ』によってチャンドラーのイメージは一新した。
 清水俊二は、映画字幕の名訳者として知られているが、映画字幕の一種の調子のよさが良かれ悪しかれ小説の翻訳にも表れている。その名調子で多くの読者を獲得したのだけれども(村上春樹もそのひとり)、そのために失ったものも大きかった、と新訳を読みながら思った。
 たとえば、『長いお別れ』の、

 <もし、私が尋ねて、彼が話してくれていたら、二人の人間の生命が助かっていたかもしれないのだ。かならず助かっていたとはいえないのだが。>

は、『ロング・グッドバイ』では、

 <もし私が質問し、彼が答えていれば、あるいは二人ばかりの人間の命が救えたかもしれない。しかしそれはあくまで「あるいは」であり、どこまでいっても「あるいは」でしかない。>

と訳されている。
 村上訳が、おそらく原文により忠実なのだろう。清水訳は意味を重視した意訳で、むろん意味としてはそうなのかもしれないが、これは決定的な違いだ。村上訳では、「仮定」とはついに「仮定」にとどまらざるをえない、という人生の真理、あるいはマーロウの人生観の表出の台詞であることが明確に表れている。
 あるいは、『ロング・グッドバイ』における「サー」の使い方。
 刑事が上司の警部に返答するときに、いちいち「サー」をつけ、その警部も部長からの電話では「イエス・サー」と答えるのだが、村上春樹はそれをすべて省略せずに訳している。なぜなら、その場面で警部に尋問されたマーロウが、<「イエス・サー」と私は礼儀正しく言った>というように、マーロウはここで、警察組織の形式的な上下関係のくだらなさを冷笑しているからだ。清水訳はここでも<「聞かせよう」と、私はおとなしくいった>と意訳し、「サー」の意味には頓着していない。村上春樹が長い訳者あとがきで清水俊二の翻訳に敬意を表しつつ、「いずれにせよ、古き良き時代ののんびりとした翻訳というか、細かいことにそれほど拘泥しない、大人(たいじん)の風格のある翻訳である」と書いているように、両者を比較すると清水訳の大雑把さが目につく。だが、ディテイルに拘泥することが、チャンドラーの小説の方法論であったことがこの新訳を読むとよくわかる。
 旧訳には単純な誤訳もいくつかあるけれども、それ以上に、こうしたディテイルの精確な翻訳によってこの小説の面白さが今まで以上に読者に伝わることになったと思う。名訳である。書評原稿は短いものなので、こうした翻訳の比較はできなかったが、原文を対照しながら読むとさらに面白いだろう。そのうちに原著と対照してみよう。
 ところで、『ロング・グッドバイ』142頁冒頭の、<耳たぶについたタルカム・パウダーを落としているときにベルが鳴った>という書き出しは、『ねじまき鳥クロニクル』冒頭の<台所でスパゲティーをゆでているときに、電話がかかってきた>に、はるかに木霊してはいまいか。


某月某日
 古書店でコウルリッジの『文学評伝』(桂田利吉訳・法政大学出版局)を買う。鉛筆や万年筆で、がしがし書き込みされているが、なにかまうもんか、定価の十分の一以下のタダ同然の値段なのだから。
 この本には思い出がある。書評紙で文学欄の担当をしていた頃、新刊で出たこの本の書評を由良君美に依頼したのだ。三十年前のことである。由良君美の『椿説泰西浪漫派文学談義』は学生時代に繰り返し読んだ愛読書の筆頭だった。だから、コウルリッジといえば由良君美なのである。四百字で五、六枚程度の原稿を受け取りに浜田山のご自宅へうかがった。居間に上がった記憶がないので玄関で原稿を受け取ったのだと思うが、玄関や廊下、そして二階へあがる階段の片側にまでぎっしりと本が積み上げられていたことをよく覚えている。おそらく、二、三言葉をかわしただけにちがいあるまいが、それだけでもう満足だった。
 由良君美はその書評で、この本『ビオグラフィア・リテラリア』は天才の生涯に一冊の本である、と書いている。日本語でいう「評伝」ではなく、「ビオス(生)の嘘いつわりなき病跡史」とでもいうべきもので、コウルリッジはこの文学理論書を書きながら、その書く行為が自己の<生>の軌跡を跡付けることになる、という意味で「破天荒の現象学的記述」の自己病跡史である、と評している。「多岐多角に脱線する愉快このうえないトリスタラムシャンディー的頭脳体操の書である」とも書いていて、実に面白そうなのだが、一方で天才の生涯に一冊の本であるだけに難解きわまりない、とも書かれていて、まあ、値段もさることながら(当時としてはとびきり高価だった)この「難解」という託宣に惧れをなして読まなかったのだろう。およそ二百年前の「文学理論の古典中の古典」である。
 由良さんの書評「ロマン派詩学書の白眉:トリスタラム的頭脳体操」は『みみずく古本市』(青土社)に収録されている。
 さて、私はこの本を最後まで読み通すことができるだろうか。


某月某日
 竹内道夫編『覚書 杉原一司』が届く。杉原の所属した同人誌「花軸」「メトード」より採録した杉原の短歌と評論等、および、杉原と師前川佐美雄、盟友塚本邦雄らとの交流を論じた竹内氏の論攷「現代短歌の先駆者 杉原一司」からなる。鳥取県在住の竹内氏が同県人の杉原一司の短歌に惚れ込み、おそらくは自費で刊行されたのだろう、労作である。「メトード」は本書刊行後に塚本邦雄全集別巻に収載されたが、「花軸」は他で見ることのできない貴重な資料である。
 本書で初めて目にすることができた杉原一司の歌を以下に少し掲出してみる。


 花びらをあなたの胸へむけて射つ自動拳銃(コルト)かなにか春のまぼろし
 ほのぼのと消(け)のこる虹のうすきいろ美(くは)しきものはいのち短し
 昔むかしひとりのひとにおそはりし花の名も今は思い出せなく


 杉原一司、享年二十三。美しきものはいのち短し。