小中英之――その5

 岡井隆に『現代百人一首』という編著書がある。朝日新聞社より一九九五年に刊行された*1。この本を編集したのは朝日新聞社出版局の石井辰彦。岡井は本書のあとがきに「窓のない会議室風のところで、石井氏のワープロに向って口述し、打ち出された原稿に手を入れる。半日かかって五首できればいい方であった」と記している。
 朝日新聞社の社員となっていた石井辰彦に初めて会ったのはその六年ほど前だろうか。直後に第二歌集『墓』(一九八九年、七月堂)を石井から恵与されているのでおそらくその頃のことだろうと思う。彼は出版局に移る前で事業部だったかに所属してい、私は映画関係の雑誌や書籍の編集に携わっていた。『墓』に収録されている連作「弟の墓」は初出誌*2で読んでいたから、石井が歌壇と距離を置いた場所で歌人としての活動を続けていることは知っていたが、まさか新聞社の社員として出会うことになろうとは思いもよらなかった。


 それはさておき、岡井の『現代百人一首』は、齋藤茂吉、釋迢空から俵万智辰巳泰子まで百人の歌人の歌を撰んで評釈を試みた本であるが小中英之の歌、


 月射せばすすきみみづく薄光りほほゑみのみとなりゆく世界


も、なかに含まれている。
 岡井は評釈で小中の歌をもう二首、引用する。


 飲食(おんじき)のま水しほ水しづかなる微笑(ほほゑみ)のためアンデルセン
 幽界にともる微笑を友としてみどりまぶしき季(とき)を揺らげり


そして(この二首のような)「特に強調された微笑世界にも、注目してよいだろう」と書く。


 「「ほほゑみのみとなりゆく世界」というのは、哄笑もなく冷笑もなく、感情を押し隠して、たとえばモナリザの微笑のように、あるいはまた埴輪の口に漂うアルカイック・スマイルのように、現実世界からは遠い世界に非現実風にともる微笑なのである」


 岡井はこうした世界を歌う「名手のひとりとして、小中の存在は貴重である」としつつ、「だがはたして、世界はこのように割り切れないもの、ほほえみに満ちたものなのであろうか」と問いかける。そして、政治的な挫折の時期に「人々は自信を失」い「世界の不可解さに押しひしがれ」、「八〇年代の女歌再興が来るまで、こうした内向派の抒情が、結構世に持て囃されたのであった」と結んでいる。
 人々がいかなる理由で小中の歌を「持て囃」したかは知らないが、岡井が注目する小中の「ほほゑみのみとなりゆく世界」には、たんなる現実逃避ではない切実な、いわば祷りともいうべき心境が託されている。それについて述べる前に掲出歌「月射せば」への岡井の注釈を一瞥しておこう。


 「ここに挙げた歌は、一見すると外部世界をうたっているかに見える。すすきである。すすきに射しはじめる月の光である。たぶん木の枝にとまっているみみずくである。しかし本当はこの月の光は、中原中也の名作「ひとつのメルヘン」にうたわれた川原に射す夜の日光(二字傍点)という、あの非現実的な光と同じように、外部世界の現実ではない。それは作者の内面の森の物語なのである」


 この歌に歌われているのが「外部世界の現実ではない」という解釈はいいとしても、その前段のすすきみみづくにはまた別の解釈があろう。すなわち、山中智恵子が「穂すすきで作られたみみづくの民俗玩具だらうか」*3と述べているように、ここは雑司が谷鬼子母神で売られている<すすきみみづく>であると取ったほうがいいだろう。月夜見に微かに耀く愛らしい玩具に「羞明とも呼ぶにふさはしい未生のほほゑみ」(山中智恵子)を感受する、それがこの一首の読みどころであろうと思うゆえにである。「ほほゑみのみとなりゆく世界」は「内面の森」というよりむしろサンボリスムの詩法というべきだろう。マラルメなどを好んで読んでいたという小中の一面がこの一首によく表れている。
 この歌は『わがからんどりえ』に「すすきみみづく」の標題のもとに収められた連作七首の掉尾の一首。『わがからんどりえ』にはこの連作以外にもう二首、すすきみみづくを詠んだ歌がある。


 夜をひと夜すすきみみづく還るべき虚(うろ)あらざればしぐるるをきけ
 去年よりの薬物の量みつめきてすすきみみづく寒くしあらむ


 ところで、岡井が引用した小中の「幽界にともる微笑を友として」の歌は、『わがからんどりえ』の巻頭に「微笑」の標題で収められた連作九首のうちの一首である。この「微笑」連作は、天草季紅の『遠き声 小中英之』*4によれば「小野茂樹の鎮魂歌として読まれることも多い」一連である。
 一九七〇年に不慮の事故で亡くなった小野茂樹と小中は親しい友人で、小野が事故に遭う数時間前まで二人はいっしょに酒を飲んでいたという。小中は小野の死に衝撃を受け、その年の秋、神経科に入院までしている*5。「微笑」連作は翌る七一年の「短歌」(十一月号)に掲載されたもので、なかに「友の死をわが歌となす朝すでに遠きプールは満たされ青し」という歌を含む。「死の意識」を「自分の歌の原形質」と認識する小中が*6、「死の意識を精神風土の一部に抱く」*7小野に親近感を抱き親交を深めたのは当然といえよう。あるいは小野の歌の「死の意識」にとりわけ感応したのかもしれない。ともあれ小中にとって小野茂樹は「ほほゑみ」として印象附けられた存在であったにちがいない。「微笑」連作以外でも『わがからんどりえ』集中の、


 ほほゑみは明るさゆゑに遺りゐてかなしみ白き羊雲の界
 逝きてなほわが終身の友なればきさらぎ白きほほゑみに顕つ


が、小野茂樹に捧げられた歌であるのは明らかである(羊雲は小野の第一歌集『羊雲離散』を詠み込んだもの)。また小野の死後はじめて「短歌人」(七〇年九月号)に発表した歌、


 微笑みのかえりくるすべなかりしにはるかをささえ茂る樹が見ゆ


では、小野の名前を詠み込んでいる(仮名遣原文ママ*8。また、「微笑」連作の翌月「短歌」(十二月号)に発表した「『黄金記憶』頌――小野茂樹論へのノート」*9にも「いまのわたくしには愛惜のなかにしか小野茂樹の微笑はみえてこない」、「死の意識さえも美しく歌いあげた彼のほほえみを永遠のほほえみとして、いつまでも歌集『黄金記憶』は閉じがたい」との一節がある。小中が引用している小野の遺歌集『黄金記憶』集中の一首、


 くさむらへ草の影射す日のひかりとほからず死はすべてとならむ
                        

は、『わがからんどりえ』の次の歌と「死の意識」において殆ど同質である。


 黄昏にふるるがごとく鱗翅目(りんしもく)ただよひゆけり死は近からむ


 天草季紅は『遠き声 小中英之』で、「微笑」一連を小中の歌におけるひとつの転回点、「あらたな出発を告げる」作品であるとし、前述の「反恋歌」(小中英之―その1、参照)にも歌われた「北の海で死んだ一人の友」、そして小野茂樹の死、それらの衝撃を克服し、「自分への確執をはなれ、禁忌の感覚をのりこえ、死者を冒すことなく、それをそのままの耀きのなかで歌う」方法を模索するなかで、ついに「時空をこえて存在それ自体がうつくしく燃えあがっているような、透明感にみちた詩的世界が現出したのであった」と論じる。そこでは「小野がもう小野ですらなく、そうしたこととは次元をへだてた作品世界のなかで息づき、永遠の命としてよみがえ」っている。
 「すすきみみづく」一連がいつ発表されたものか私に不明である。だが「微笑」発表ののちのことであるのは間違いなかろう。そうした小中の歌作の閲歴に照らしてみたとき、すすきみみづくの歌はたんなる「メルヘン」以上の相貌を見せて屹立する。


 月射せばすすきみみづく薄光りほほゑみのみとなりゆく世界


 小野茂樹を直截歌った「ほほゑみ」の歌に比してはるかに「透明感にみちた詩的世界」である。ここでの「ほほゑみ」は「もう小野ですらなく」、「永遠の命として」そこに在る。先に「祷りともいうべき心境」と書いたのは、かるがゆえにである。


 ここで冒頭の「世界はこのように割り切れないもの、ほほえみに満ちたものなのであろうか」との岡井隆の問いに立ち戻れば、「然り」と答えるほかないだろう。「ほほゑみのみとなりゆく世界」は岡井自身がいうように「外部世界の現実ではない」。内部世界あるいはシンボリックな世界を歌った歌に対して、現実の世界はこんなものでないと言っても詮無いといわねばなるまい。
 同様に、先述(小中英之―その3)した滝耕作の小中英之論*10における、


 「彼の歌には、他人に対しての関心や興味がほとんど歌われていない。世界は余りに静的であり、躍動感を喪失している。彼の眼はひたすら自己と、季節の移ろいにそそがれている」


といった評言は一面的に過ぎるといえよう。見てきたように小中にとっては、他人への切実な「関心」が昇華されたときに一行の詩となって顕ちあらわれるからである。滝もまた「微視的観念の小世界」という言葉に代表される「内向派」への批判は一面的であることを認め、「時代状況の荒々しさ、喧噪さから自らを外らし、個我に埋没して歌うことは、確かに安易な方法である。しかし、意識的に外的世界を断ち切り、個我と自然に徹することは、実は大変困難なことではあるまいか」と述べている。
 「時代状況の荒々しさ」を詠んだ安易な機会詩、安易な時事詠を私たちは山ほど見てきた。そしてそうした歌はいまも飽きることなく量産されつづけている。一己の表現者が「時代状況」と切り結ぶとはいかなることなのか。天草季紅が次のように書くとき、私はその言葉に全面的に同意する。さもなければ、いま小中英之を読むことの意味はあるまい。


 「小中英之の短歌は、彼自身、自嘲気味にくり返し書いているように、「古風」「内向」「微視的」と評価され、時代と逆行しているようにいわれることがあるが、逆行しているのではなく、彼はただ根源の場所に立ち返り、そこにとどまっているのである。むしろ、わたしには、自己崩壊の危機に救いの手をさしのべてくれるという意味で、きわめて現代的な課題を背負っているものと思える」*11


 小中自身は、「螢田てふ駅」の歌に触れつつ、自らの歌を微視的、内向的とする批判に対して「たぶんそのことは外的現実に比重をかけすぎる考えによるものなのであろう」*12と控えめに反論している。また「月射せば」については次のように自注している*13


 「死を意識しながらもその限界をこえようとする意志によって、一瞬、照らし出されるもの、それを蘇生と呼んでもいいのだが、そのために存在する歌もある」

                        (この項つづく、敬称略)


現代百人一首

現代百人一首

*1:奥付は一九九六年一月一日、第一刷発行

*2:雑誌「GS」第二号、一九八四年、冬樹社

*3:山中智恵子「高く遂げたり」、『小中英之歌集』砂子屋書房、二〇〇四年

*4:二〇〇五年、砂子屋書房。本書は単行本としては最初の、そして唯一の小中英之論である。鴎をキイワードに小中の初期歌篇を辿った長篇論攷と数篇の小論とからなる。小中の故郷である北海道の江差まで訪ね、小中の内面に分け入った見事な評論である。今後、本書を抜きに小中英之を論じることはできまい。

*5:小中英之年譜、天草季紅、前掲書

*6:小中英之「往反の法」、前掲『小中英之歌集』所収

*7:小中英之「『黄金記憶』頌――小野茂樹論へのノート」、現代歌人文庫『小野茂樹歌集』国文社、一九八二年

*8:天草季紅、前掲書

*9:前掲『小野茂樹歌集』所収

*10:滝耕作「作品をして語らしめよ」、「アルカディア」創刊号、前掲『小中英之歌集』所収

*11:天草季紅「明暗の創」、前掲書

*12:小中英之「駅――、螢田」、前掲『小中英之歌集』所収

*13:小中英之「往反の法」、前掲『小中英之歌集』所収